伝記映画になった「アジアのビートルズ」

伝記映画になった「アジアのビートルズ」

アラン・タムら、個性的なメンバー

ハリウッド大作がひしめきあう今年のサマーシーズンの映画界において、香港で現在公開中の『兄弟班』が大きな話題を呼んでいる。なぜなら、本作は1973年に結成され、「アジアのビートルズ」として、香港のみならず、台湾・タイ・シンガポールの音楽シーンを席捲。幾度の活動休止を経て、現在も根強い人気を持つロックバンド、温拿楽隊(ザ・ウィナーズ)の結成秘話を描いた青春映画なのである。

温拿楽隊といえば、まずは歌唱コンテストを機にエンタメ界入りした譚詠麟(アラン・タム)の名が挙がるだろう。ソロ・アーティストとしても活躍し、84年には日本デビューもした彼は、谷村新司や玉置浩二らと交流。成龍(ジャッキー・チェン)と映画『サンダーアーム/龍兄虎弟』で、早見優と映画『恋のカウントダウン』で共演、さらには 89年の「NHK紅白歌合戦」に出場を果たしている。

また、張国栄(レスリー・チャン)、梅艷芳(アニタ・ムイ)らとともにミュージックシーンを牽引し、現在の香港エンタメ界では「校長」の愛称で呼ばれる首領的存在でもある彼だが、実は温拿楽隊の前身となるLoosers(ルーザーズ)には途中加入。ちなみに、そのLoosersで先にメインボーカルを務めていたのが無線電視(TVB)の司会やコメディアンとして知られる陳百祥(ナット・チャン)というのも、意外な事実である。

ほかにも、温拿楽隊には個性的なメンバーが集っている。グループ時代は譚詠麟より人気があり、80年代には「台湾ニューウェーブの雄」といわれる侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作に出演したかと思えば、数々の女性問題や自己破産などプライベートでもさまざまな話題を提供した、「阿B」こと鍾鎮濤(ケニー・ビー)。『ٍL屍先生(霊幻道士)』などに出演するほか、周星馳(チャウ・シンチー)主演の『無敵幸運星』などでは監督を務めたメガネキャラの陳友(アンソニー・チャン)だ。

彼らの最大のヒット曲であるWalkersのカバー「Sha-La-La-La」をはじめ、カール・ダグラスのカバー「Kung Fu Fighting(吼えろ! ドラゴン)」、ピーター&ゴードンのカバー「I Go to Pieces」など、初期の楽曲はほとんど英語楽曲のカバーである(なかには、沢田研二「時の過ぎ行くままに」の英語カバー「4.55(Part Of Game)」なども!)。

英語詞から広東ポップスを支える存在に

これは「英語の方が広東語よりカッコいい!」という、当時の欧米への憧れが露骨に出ているわけだが、同じく英語楽曲が中心だった人気バンド蓮花楽隊(The Lotus)からソロデビューしたライバル的存在、阿Samこと許冠傑(サミュエル・ホイ)によって、彼らも大きな転機を迎える。阿Samがビートルズの「Can’t Buy My Love」を広東語カバーした「行快D٠٣^」以降、広東語楽曲もポピュラー化したことで、「千載不変」や「玩٠」といった広東語のヒット曲を次々と放ち、広東ポップス全盛期を迎えることになる。

現在60代後半になった彼らの音楽は、まさに古き良き香港の象徴といえる存在だろう。そして、若手キャストを抜てき、陳友自らが監督を務めた彼らの自伝映画『兄弟班』では、彼らのサクセスストーリーとともに、彼らを支えた家族やキーパーソンとの関係性が往年のヒット曲に乗せて描かれていくほか、譚詠麟が主題歌を提供。さらに、8月には香港体育館(香港コロシアム)にて、譚詠麟と許冠傑によるジョイント・コンサート「阿Sam 阿Tam Happy Together 演唱会2018」が開催される。この流れは近年の60年代ブームに続き、70年代ブームが到来する予兆といえるだろう。
(このシリーズは2カ月に1回掲載します)

筆者:くれい響(くれい・ひびき)
映画評論家/ライター。1971年、東京生まれのジャッキー・チェン世代。幼少時代から映画館に通い、大学時代にクイズ番組「カルトQ」(B級映画の回)で優勝。卒業後はテレビバラエティー番組を制作し、映画雑誌『映画秘宝』の編集部員となる。フリーランスとして活動する現在は、各雑誌や劇場パンフレットなどに、映画評やインタビューを寄稿。香港映画好きが高じ、現在も暇さえあれば香港に飛び、取材や情報収集の日々。1年間の来港回数は平均6回ほど。
(この連載は2カ月に1回掲載)

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