悲劇的で純情な愛、オペラ「ラ・ボエーム」

クラシック音楽を聴く人でもオペラはまだまだ敷居が高いと感じる人は多いようです。ちょっと太めの歌手が多くて(最近はスリムでイケメンも増えてきたが)、不自然とも思えるような声量で歌うことに違和感を感じる人もいます。何を隠そう筆者がまさにその典型でした。

12月8~10日に香港大会堂で上演されるオペラ「ラ・ボエーム」のイメージポスターに使われている絵画(写真提供・Musica Viva Ltd) Bal du moulin de la Galette by Pierre-Auguste Renoir (1876) Musée d’Orsay

初めて劇場で本当のオペラを見たのはニューヨークのメトロポリタンオペラでした。演目は、芸術監督ジェームス・レヴァインの指揮、ゼッフィレッリ演出によるプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」。予習をして、粗筋は頭にたたき込んでいましたが、イタリア語の歌詞はさっぱりわかりませんでした。しかしゼッフィレッリの写実的な演出は物語性に富み、今、舞台で何が起きているのかが手に取るようにわかったのです。また登場人物の心の動きを逐次実況中継するかのような旋律のおかげで、舞台の歌手たちに簡単に感情移入できました。

男と女が恋に落ちて、男に不甲斐がなく、女が逃げて、男が嫉妬して、そして最後に女は男の元に戻るけれど、病で女は亡くなる||。初めてメトロポリタンオペラの立ち席で見たとき、第4幕は涙が出てきて、クライマックスでは何だか涙が止まらなくなりました。プッチーニのロマンチックな旋律の虜になった瞬間でした。


ひたむきに生きる女性

オペラの女性主人公というと、女王やプリンセス、地位や栄誉のある強い女性が多いのですが、この「ラ・ボエーム」は貧しいお針子さん。それが今までのオペラとプッチーニのオペラの大きな違いです。登場人物は、売れない画家、寒くてストーブに自分の原稿を薪がわりにくべてしまう詩人、自分の外套を質屋に売るために外套に歌を歌ってあげる哲学家など、とにかくお金のない若者ばかり。基本的にはこういう市中の人が繰り広げる物語がプッチーニのオペラの主題です。悲劇的で純情な愛にひたむきに生きる女性が常に主人公です。

主人公ミミの悲劇は、好きな男性が金のない詩人で、極貧から抜け出せないことの焦りと日々の生活の辛さから、ついつい金持ち男性の愛人のようになってしまうこと。詩人は惨めに自分を責め、またミミをも責めるのです。芸術家の卵や地方で働けなくなった人たちが職を求めてパリに移り住み始めるようになり、人口が爆発的に増えていたころ、お金なしでどのくらい将来を予測できるのかわからない非常に厳しい時代でした。それはある意味、安定した生活が保証されない社会になった現代の日本や香港にも通じる問題なのではないかと感じます。

そんな厳しい時代に、パリでは高級娼婦が文化人と交流し立派な文化サロンが生まれ、オペラにも影響を与えます。一番有名な例は、ヴェルディの「椿姫」で、実は彼女は高級娼婦で、舞踏会で男性と知り合い純粋な愛に目覚め、男性も恋に落ちます。こうした価値観の変遷を考えないと、プッチーニの名作オペラ「ラ・ボエーム」を正しく理解できないかもしれません。

オペラ入門向きの演目

プッチーニというと、どうしてもお涙ちょうだいのセンチメンタルな音楽という先入観を持ったり、現実的な観点から低く見る人もあるようです。指揮者では、ヴェルディやロッシーニの名作のほとんどを録音しているクラウディオ・アバドが、とうとう亡くなるまでプッチーニのオペラは指揮しませんでした。常に競争相手だったムーティーは、少しずつプッチーニのオペラを録音しています。

プッチーニオペラの名演は、若くして逝去した指揮者シノーポリの録音が有名ですが、彼は「蝶々夫人」と「トスカ」、「マノン・レスコー」を録音しながら、ラ・ボエームは録音しませんでした。この作品を得意にしていたのは名指揮者で誉れの高いカルロス・クライバーでした。

20世紀に世の中が移行している時代、無調主義の現代音楽とは本質的に異なり、ワーグナーのようにオーケストラに音楽を語らせるというオペラとしては極めて新しい手法をプッチーニは存分に活用しており、音楽はストーリーと登場人物の真理を見事に描写しています。

「カルメン」と並んでオペラの入門にふさわしいといわれるわかりやすいオペラ「ラ・ボエーム」。12月の香港公演でぜひオペラの世界を垣間見てください。

(本連載は2カ月に1回掲載)

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