《127回》社團條例(社団条例)

《127回》
社團條例
(社団条例)

香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)


独立派団体の取り締まり
1911年制定の法律を運用

抗議活動に参加する独立派メンバー(写真・瀬崎真知子)

前長官時代から捜査進めていた

新たに注目された古い法律

 今回のキーワードは「社團條例」です。100年以上の歴史のあるこの法律が、突如香港政治の焦点になりました。

 7月17日、警察は香港独立を主張する政治団体「香港民族党」を禁止団体にすることを提案しました。その根拠となったのが「社團條例」だったのです。

 「社團條例」は、一部の例外を除き、香港のほとんどの各種団体に登録を義務化する法律です。同時に、「社團條例」は、公共の安全に悪影響を与えると見なされる団体などについては、政府が登録を拒否することができると規定します。また、これらの登録を拒否された団体について、政府はその活動を禁止することができます。禁止された団体は違法団体となり、その運用に関わることなどは罰金刑や懲役刑の対象となります。

 従来「社團條例」が主たる取り締まり対象としてきたのはいわゆる「三合会」と呼ばれるヤクザ集団でした。政治団体の禁止が実行されれば返還後初めての事例となり、「社團條例」はにわかに注目を集めることになったのです。

 今回、警察が提案した香港民族党を禁止する理由は「国家の安全」でした。これは返還後に適用された新しい規定です。

 「社團條例」自体は1911年制定の古い法律です。中国史に詳しい方はこの年号にピンとくることでしょう。辛亥革命が発生した年です。革命の動乱を受けて、香港でも治安の悪化が懸念されたため、植民地当局は社会団体の登録義務化の法律を制定したのです。

 1949年、中国では内戦の末に中華人民共和国が成立しますが、この時もその影響で治安が悪化することを恐れた植民地当局は「社團條例」を改正し、海外の政治団体と関係を持つ団体の登録はできないという規定を設けました。その主な目的は共産党と国民党の違法化で、香港を舞台に北京と台北が衝突することを避けるため、この規定により「喧嘩両成敗」としたのです。実際、共産党も国民党も、今に至るまで未登録の団体であり、事実上「地下活動」を行っています。

 1989年の天安門事件後、返還への不安が高まる中、香港では人権法が制定され、政治的自由が拡大されました。その一環として「社團條例」が改正され、団体は登録制から通知制としました。しかし、中国は人権法に反対しており、返還の際に臨時立法会で再び「社團條例」を改正し、団体は登録制に戻し、かつ上述の「国家の安全」に関する規定を新設するなどしたのです。このように、「社團條例」は大きな歴史的な節目ごとに姿を変えながら、百年以上存在し続けたのです。

政党の法律のない香港

 ところで、香港民族党はその名が示すとおり、政党を志向していますが、香港には政党を定義して管理する法律が存在しません。そもそも、民主化が遅れた香港では、1980年代まではまともな選挙も存在しませんでしたから、本格的な政党自体がほぼ存在しませんでした。1990年代以降になって、現在まで続く政党が誕生しましたが、それらは結成に際し、企業を管理する「公司條例」か、この「社團條例」のいずれかで、企業または団体として登録をしたのです。例えば民主党や民建連などは「公司條例」に基づき企業として、工連会は「社團條例」の下で団体として登録されています。

 香港民族党は2016年3月に、本格的に香港独立を主張する初めての政党と称して結成されましたが、召集人の陳浩天氏とごくわずかの幹部を除き、メンバーは明らかにされておらず、謎の組織であると言えます。陳氏によれば、当初香港民族党は「公司條例」での登録を目指しましたが、政治的な理由で登録を拒否されました。「社團條例」で登録するとメンバーを警察に知らせる必要が出てきますので、陳氏は「社團條例」での登録は目指さず、後に香港民族党とは異なる名義で企業として登録したとみられています。一方、「社團條例」の下での登録も、新興の政治団体には高いハードルとなっており、本土民主前線や香港衆志などは登録を認められず、銀行口座の開設などが難しくなっています。

 このような状況を変えるため、「政党法」を制定すべきとの議論は存在しています。かつては日本のように政党を登録させて政党助成金を渡す法律を求める声がありましたが、賛否両論あって実現していません。

ソフト路線の限界か

 香港独立をあらゆる手段で阻止しようとした梁振英・前行政長官と異なり、林鄭月娥・行政長官は就任前に香港独立はまだ「思潮になっていない」と述べるなど、ソフト路線をとっていました。就任後の林鄭長官の行動を見るに、穏健民主派との関係を改善し、実務重視の路線をとることで、議会運営を改善させ、支持率が回復するなど、ソフト路線に一定の成果が出ているようにも見えます。しかし、こと「独立」問題となると、昨年9月に香港中文大学で発生した「香港独立」横断幕の事件や、今年3月の香港衆志の周庭氏に対する立法会補欠選挙出馬資格の取り消しなど、発言や行動にソフト路線は見られません。

 香港民族党の禁止の提案がこのタイミングで行われたのは、必ずしも行政長官の交替とは関係ないでしょう。警察は香港民族党の成立以来の各種の言動をまとめた800ページ以上の文書を作成しており、捜査は前長官時代から警察内部で進められていたと考えるのが妥当でしょう。しかし、少なくとも行政長官が替わっても、捜査は止まらなかったということになり、独立運動に対して林鄭長官はソフト路線をとらない、またはとれないことが明らかになりました。

 しかし、これは香港政治の安定のために得策と言えるでしょうか。実際は、2016年をピークに、その後香港独立の動きは停滞しており、香港民族党の行動も特に注目されることはありませんでした。今回の政府の行動で、にわかに陳浩天氏は注目の的となり、8月14日に行われた外国人記者クラブでの陳浩天氏のセミナーは、中央政府と香港政府の激しい非難の中で、かえって大盛況となりました。梁前長官が「香港独立の父」と揶揄されたように、現実離れした極端な取り締まりが逆効果にならないかが懸念されます。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹

立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、035月~063月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

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