《111》香港における介護市場の 現状と課題

《111》
香港における介護市場の 現状と課題

 香港統計局が発表した2016年中間国勢調査によれば、香港人の平均寿命は男性が81歳、女性が87歳と、先進国・地域の中で男女とも「長寿大国」日本を抜いて世界一になった。ただし、平均寿命の伸長とともに高齢化も進んでおり、同年の総人口に占める高齢者(65歳以上)の比率は16%と過去最高水準を記録した。一方で、香港の出生率は低く、合計特殊出生率は1.2人にすぎない。高齢化と少子化の同時進行で、2015年には既に高齢社会に入っており、2025年には超高齢社会に入ると見込まれている。本稿では、香港における老人介護市場の概況と直面している課題について考察する。
(みずほ銀行 香港営業第一部 中国アセアン・リサーチアドバイザリー課 陳 穎欣)

進む少子高齢化と社会福祉制度の実態

 香港政府は高齢者対策の原則を在宅介護としており、高齢者が自立した社会生活を営むために必要な支援を提供し、可能な限り長く居住地のコミュニティーに住み続けることができるよう、さまざまなニーズに対して必要なサービスを幅広く提供している。足もと、高齢者の9割が自宅に居住しており、老人ホームや病院など自宅以外の施設に居住している高齢者は全体の10%未満にすぎない。他方、近年は核家族化が進み、子供との同居率は減少傾向にある。言い換えれば、高齢者の独居、あるいは高齢者のみの「配偶者と同居」世帯は急増している。1981年には6・5%に過ぎなかった60歳以上の高齢者のみの世帯は、2016年には16・4%まで増加し、政府の予測では、2026年には全世帯の1/4を占める23・4%まで増加すると見込まれている。

 香港には公的な国民年金制度が導入されていないため、低賃金労働や子供からの仕送りのみで生計を立てている高齢者が多く、高齢者の3人に1人は貧困線以下で暮らしている。年金は、強制積立年金制度(MPF)が2000年に導入されたが、フルタイムの被雇用者および自営業者が対象であり、失業者や、そもそも制度発足以前に退職した高齢者は加入していない。なお、香港には国民保険もなく医療費が高額なため、公立病院で医療サービスを受ける市民が多い。このため、高齢人口の増加とともに、公立病院の人手やベッド数の不足、およびサービス水準の低下も議会で度々非難されている。

 また現在、香港における65歳以上の高齢者約111・7万人(2016年)のうち、なんらかの福祉関連手当を受給しているのは半分程度に過ぎず、高齢者の貧困問題をますます深刻化させている。高齢者向けの社会保障手当には、70歳以上のすべての高齢者が対象となる「公共福祉金」と、広く社会的弱者に向けた生活保護に当たる「総合社会保障援助」(以下、総援)の2つがある。「総援」は支給対象者の年齢制限はないが、実際の受給者は所得水準が低い65歳以上の高齢者が半分以上を占めているのが実態だ。そこで近年、政府は前述の高齢者手当以外に、65歳以上の高齢者かつ資産額が一定基準以下であることを条件とする高齢者生活手当と、より所得の低い高齢者に向けた高額高齢者生活手当を導入するなど、高齢者の貧困対策を急いでいる。しかし、高齢者の貧困撲滅にはさらなる社会保障制度の拡充が必要だ。

在宅介護における課題

 香港の介護制度が在宅介護を前提としていることは先に述べたが、その介護の主な担い手となっているのが、外国人メイドである。特に、先述の独居高齢者あるいは高齢者のみの夫婦世帯で雇用されている外国人メイドは16年時点で3万9609世帯と、10年前(06年)の1万2807世帯と比べ3倍に増加している。ただ、介護の専門家ではないメイドに高齢者の世話をさせることに懸念が高まっていることを受け、政府は17年度施政報告において、「メイド老人介護試験計画」を提案し、外国人メイドが老人介護に関する専門知識を身につけられるよう対策を講じている。一方、メイドの主な出身国であるインドネシアとフィリピンの両政府が近年、労働力の輸出を制限する方針を打ち出していることから、今後は介護人材の不足も懸念されている。

 このほか、在宅高齢者を支援するためのデイサービスが政府の支援を受けた非営利組織により提供されている。こうしたデイケアセンターの利用者は要介護度により3段階に分けられ、メイドを雇用できない低・中所得層の在宅高齢者は主に「コミュニティー介護サービス」を利用している。しかし、人手不足などを理由に、デイサービスを申請しても場合により1年以上待機しなければならないこともあるようだ。

介護施設における課題

 高齢者がメイドや家族による介護を受けることが困難な場合は、介護施設を利用することになる。香港における高齢者向けの介護施設(以下、老人ホーム)は、政府支援系と私営系の2種類に分類され、それぞれベッド数の1/3、2/3を占めている。政府支援系は公的補助を受けた非営利組織や教会などにより運営されており、入居費等は低額だが、ベッド不足が慢性化しているほか、入居の可否は日本の要介護認定と類似した「養老サービス評価制度」により判断され、登録後、空室が出るまで待機する必要がある。政府は政府支援系老人ホームの不足を補うため、私営老人ホームの一部をベッド単位で借り上げているが、それでも入居希望者に対しベッド数が極端に不足しているため、政府系老人ホームの入居待機人数は、18年3月末時点で3万7911人、入居までの平均待機期間は約24カ月となっている。

 政府系、私営系にかかわらず、老人ホームの入居者のほとんどは中・低所得層、または「総援」対象者であることから、政府の補助で経営が維持されているのが実態である。一方、介護職従事者の賃金は他の職種に比べて低く、長時間勤務や厳しい労働環境により、人材の確保が極めて難しい状況にある。香港では失業率が約3%と、ほぼ完全雇用の売り手市場が続く中、老人ホームにおける一般介護職員の不足率は18%に達する慢性的な人手不足に陥っている。この対策として、私営系老人ホームは外国人労働者の雇用が認められており、現在、私営系老人ホームで働いている従業員のうち約10%、2500人程度を外国人労働者が占めるに至っている。さらに政府は18年度中に、政府系老人ホームで働く介護従業者の賃金を引き上げ、待遇改善と人材確保を図る方針だ。

 このほか、政府は老人ホームの質の向上に向け、先端的な介護用品、設備機器、サービス・ソリューションの導入支援を計画している。また、現在の「老人ホーム条例」は20年前に改定されたもので、平均居住面積や入居者一人当たりの職員数などの基準が実際のニーズと乖離していることから、これらの改訂も検討しているという。

日系企業参入への期待

 香港はもともと日本への親和性が高いが、昨今の高齢化の進行に伴い、質の高い介護サービスが求められる中、香港に先んじて高齢化社会を迎えている日本の介護にも関心が高まっている。日本の高齢者向けの技術や設備、器具などは世界から見てもトップ水準にあるだけでなく、日本人の生活習慣や居住環境は香港と類似している部分が多く、日本式の介護は香港でも受け入れられやすい側面があるためだ。かかる中、香港政府と香港社会サービス協議会は今年11月に「高齢者のためのイノベーション・テクノロジー・エキスポ/サミット2018」を開催する予定で、これを機に日本をはじめ海外の介護関連業者を誘致し、高齢者向け商品やサービスのマッチングができるプラットフォームを構築する計画だという。

 また、香港の私営系老人ホームは18年3月末時点で548カ所あるが、複数のホームを経営する大手も含め、中間所得者層以上を満足させる介護サービスを提供できる施設はほとんどなく、外資企業等による香港老人ホーム市場への参入事例は見当たらない。近年になってようやく、日本企業が香港の大手企業と提携し、高齢者施設の改装や介護事業のコンサルティングを通し、ノウハウや人材育成のサポートを行うケースが見られるものの、いずれも本格的な参入にまでは至っていない。海外での介護事業展開に興味を持つ日本企業にとって、外資参入規制がなく、日本と同様の生活水準・スタイルを持つ香港での事業展開は、新たなビジネスチャンスの一つになるのではないだろうか。

 なお、香港には「養老サービス統一評価制度」という要介護度認定システムがあるが、公的な介護サービスの申請にかかる判定にのみ適用される。日本の介護サービス事業は、使用者の居住環境や要介護度に応じたケアプランを作成し、適切な器具、装置のレンタル、リハビリテーションから高齢者向けの食事配送サービスまで、介護のみならず生活全般にわたる支援が幅広く提供されているが、香港でも近い将来、中・高所得層の高齢者に向けた、使用者それぞれに合った広範なサービスの導入が期待されており、ここでも日本企業の知見やノウハウが役立つだろう。

(このシリーズは月1回掲載します)

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