117回 殺無赦(容赦なく殺せ)

「香港独立」論争が再燃
占拠行動発起人の糾弾集会

香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)

過激発言に親政府派も非難

何君堯・議員が主催した占拠行動発起人の糾弾集会

議員の口から爆弾発言

今回のキーワードは「殺無赦」です。「容赦なく殺せ」と訳せるこの物騒な言葉は、クリント・イーストウッドが主演した、1992年の西部劇映画『許されざる者』の中国語タイトルの言葉でもありますが、驚くべきことに、最近立法会議員の口から公の場で飛び出して、激しい論争を巻き起こしました。

何君尭・立法会議員は、元香港律師(事務弁護士)会会長で、2014年の「雨傘運動」発生当時、運動を強硬に批判した親政府派の人物です。2015年の区議会議員選挙の際、元民主党主席の何俊仁・立法会議員と争って勝ち、注目を集めました。昨年の立法会議員選挙では立法会議員に初当選しました。

何議員は8月末から、2014年のオキュパイ・セントラルを提唱・主導した戴耀廷・香港大学副教授の解雇を求める署名運動を行い、9月6日までに8万人以上の署名を集めたとしていました。この勢いを駆って、9月17日、何議員はタマール公園で、戴副教授を糾弾する市民集会を開催したのです。

折しも新学期にあたり、香港中文大学などの一部の大学では、香港独立を主張する横断幕や、ポスターが多数掲示され、一頃静かになっていた香港独立に関する論争が、一部でにわかに再燃していました。主催者側発表で4000人、警察発表で2100人を集めたとされるこの集会で、ゲストの一人として壇にあがった新界・天水囲地区にある屏山郷事委員会の主席・曽樹和氏は、怒りの表情で、刀で切るような仕草をとりながら、香港独立を主張する者を「殺(殺せ)!」と叫びました。これに対し、同じく壇上にいた何議員は、「無赦(容赦なく)!」と応じたのです。

親政府派からも強い批判

公の場で人を「殺せ」と叫ぶことは、公安条例などに違反する可能性があります。言うまでもなく、何議員の発言は民主派から強く非難されました。民主派立法会議員は一斉に共同で抗議の声明を発表し、立法会では何議員の罷免を求める譴責動議も行いました。嶺南大学では、学生たちが座り込み抗議を行い、何議員の同大学校董(理事)辞職を求めています。香港を訪れたイギリス統治時代最後の総督クリス・パッテン氏は、何議員の発言はイギリスであれば起訴されたであろうと述べています。

譴責動議は親政府派の反対により可決には至りませんでしたが、何議員に対しては、親政府派の側からも非難の声があがりました。新民党の葉劉淑儀・主席はフェイスブックで、「愛国は何君尭のような愚かな発言や行動とは異なる」「愚かな愛国者は国家にとって良いことがない」などの厳しい言葉で、何議員の言動を非難しました。そもそも葉劉議員は、何議員がこの集会を開くことをやめるように、事前に求めていたと言います。

民建連の葛珮帆・立法会議員が親政府派の区議会議員に発出したとされるショート・メッセージでも、親政府派がこれから広州—香港間高速鉄道の「一地両検」問題、立法会補欠選挙、議事規則改定という重要な戦いに臨むという時期に、このような行動に出たことは親政府派内部の士気に影響するとして、何議員の発言を批判しています。同じ親政府派の議員の過激発言により、自党が損害を被ることに対する憤りがにじみます。

誰よりも迷惑を被ったのは、林鄭月娥・行政長官かもしれません。就任前から香港独立論は思潮を構成するまでに至っていないと述べるなど、大げさに対応することに異論を唱え、政治論争よりも経済や市民生活の政策に集中したい意思を示していた林鄭長官にとって、独立論を無駄に刺激することは邪魔となるはずです。林鄭長官は「大学内での香港独立の議論が社会に拡散して、我々文明社会では目にしたくない言動を呼んだ」と述べ、間接的ながら何議員の発言に苦言を呈しています。

それでも意気軒昂な理由

しかし、このような孤立状態に置かれても、何議員は強気の態度を崩しません。発言を撤回せず、謝罪も拒否しています。その背景には、香港独立という、中国本土における最大の政治的タブーに対する強硬な態度は、本土では圧倒的に支持されるということがあるのかもしれません。

香港中文大学では、学生が意見広告を掲示する「民主の壁」に、香港独立を主張する掲示物が続々と貼り出されました。すると、本土出身の女子学生がこれをはぎ取る事件が発生しました。なぜはがすのかと問われたこの学生は、あなたに張る権利があるなら、私にははがす権利があると主張しました。香港ではこの主張は民主や言論の自由に対する理解の問題として論争になりましたが、彼女の行動は、本土では勇気ある正義の行いとして喝采を浴びました。

林鄭長官のソフト路線は続いており、それは中央政府も支持しているとみられています。習近平・国家主席の香港訪問の際も、習主席は物事をいたずらに政治化させてはならないと述べました。しかし、他方で習主席は、梁振英・前行政長官が香港独立勢力に対して有効な打撃を与えたとの評価も与えていました。独立問題という、中国人のナショナリズムを最も刺激する問題においては、中央政府も甘い顔を見せることは困難です。論争の過程では、中文大学の学生が本土の学生に対して差別的な用語を用いるという事件も発生し、感情的対立はますます煽られています。

こうした状況の中、何議員は10月、滞在先の北京からフェイスブックで生中継を行い、「回郷証(本土に行くために必要な通行証)を申請していない100万人以上の香港人は独立支持派」との、新たな爆弾発言をしました。少なくとも何議員は、今回の騒動を経ても、言動を変える意思はないようです。

今年に入って本土派の人気にはかげりが見え、世論調査の数字を見ても、香港独立の主張は低調になっていると見られていました。しかし、9月以降の展開では、一度火がついてしまった香港独立の論争は、こうして何らかのきっかけがあれば再燃することが示されました。林鄭長官にとって、難しい政治運営は当面続きそうです。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、035月〜063月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

Share