〜香港貿易発展局・日本首席代表が語る港・日ビジネスへの期待〜

2020年東京五輪、自治体・中小企業と香港をつなぐチャンス

 今年5月28日に香港貿易発展局の日本首席代表に就任いたしました朱耀昌(サイラス・チュー)と申します。『香港ポスト』の読者の皆さまに謹んでごあいさつ申し上げます。

 香港貿易発展局は1966年、香港の中小企業の貿易を促進する機関として設立され、昨年で50周年を迎えました。今後の重要な役割の一つとして、中国の広域経済圏構想「一帯一路」に伴うビジネスチャンスに、香港および世界各国の中小企業が香港を通じて関与する仕組みを整備することが挙げられます。

 日本では、1971年に設立した東京事務所、1981年に設立した大阪事務所で培ってきた地方自治体や中小企業との協力関係を礎に、香港と日本とのビジネス拡大を図ってゆく方針です。

日本の印象

 わたくしは残念ながら日本語を解しません。ですが、わたくしと同世代の香港人と同様、子供の頃から日本は最も身近な外国でした。皆さまはご存じかと思いますが、大みそかの『NHK紅白歌合戦』は、われわれ香港人にとっても、毎年の大きな楽しみでした。1970年代、80年代の香港の歌手が口ずさんでいたメロディーは、多くが日本のアイドルや歌手の広東語カバーだったからです。

 わたくしはまた、大学や大学院で経営学を専攻しました。その際にケース・スタディーとして取り上げられるのは、数多くの日本のエクセレント・カンパニーでした。日本に来るまで5年間、台湾代表として台北に駐在しておりましたが、その間にプライベートで6度、日本に旅行に参りました。

 5月中旬に東京に赴任してから、精力的に各地を訪問しています。その中で改めて感じるのは、日本人の時間に対する正確さです。初めて日本の鉄道会社が発行した「遅延証明書」を見たときは正直、それが何なのか、一瞬ですが理解に苦しみました。また、サービス業に従事する日本のスタッフたちの、礼儀正しさと親切さは、われわれ香港人が最も学ばなければならない要素だと感じています。

これまでの略歴

 1997年に香港貿易発展局に入局し、香港本局で金融業やIP(知的財産)などを中心とするさまざまな貿易プロモーション活動に従事してきました。その後、北京事務所、上海事務所、広州事務所での勤務や香港本局での総裁秘書室主任などを経験しました。

 直近では、2012年〜17年まで、2代目の台湾代表として勤務し、香港と台湾の中小企業間のビジネス促進に取り組みました。この時期は、馬英九・総統の国民党政権(2008年5月〜2016年5月)、現職の蔡英文・総統の民進党政権(2016年5月〜現在)と、異なる政治環境を経験しました。

 しかしながら、香港のビジネス拠点としての優位性をアピールし、香港の活用を訴えるというわたくしどもの仕事には、こうした政治環境の変化は特に影響を及ぼさなかったと言えます。さらに、台湾に1700以上の香港企業が登記されていながら、それを束ねる経済団体がなかったことから、台湾事務所が中心になり、2014年に「台北市香港商業協会の設立にこぎ着けたことも、思い出に残る仕事です。

日本での取り組み

 2018年秋に東京で、アジアのビジネス・プラットホームとしての香港の役割を日本の皆さまにPRする大規模なシンポジウムを開催する計画です。2012年に東京、大阪で同様のビッグイベントを開催したことがございますが、今回はそれをさらに上回る規模での実施を計画しております。

 わたくしは実は、今このタイミングで日本での職務を拝命したことを非常に幸運だと感じております。なぜならば日本では、2020年に東京オリンピック・パラリンピック競技大会が開催されるからです。これを機に、国際社会における日本の注目度が飛躍的に増すことは間違いありません。

 わたくしは常日頃、日本の高度な科学技術や、ファッション、音楽、映画、ドラマ、アニメ、マンガなどといったデザイン・コンテンツ分野の人材の豊富さに、敬意の念を抱いてまいりました。こうした気持ちは昨夏、過去最多のメダルを日本にもたらしたリオデジャネイロ五輪の閉幕式における「アベマリオ」の映像を見た際に再燃いたしました。

 生真面目で几帳面で無口、冗談にニコリとも反応しないという欧米諸国などでのステレオタイプの日本人像を打ち破る型破りな演出を見た時、わたくしは2020年に向けて日本がさらなる発展を遂げることを確信いたしました。

(このシリーズは2カ月に1回掲載します)

【プロフィール】
朱耀昌(サイラス・チュー)
香港出身。香港科技大学で経営学の優等学士(B.A.)および経営修士(M.A.)を取得。1997年に香港貿易発展局入局後、さまざまな貿易プロモーション活動に従事。北京事務所、上海事務所、広州事務所、総裁秘書室などに勤務。201217年まで台湾代表を務めた。台湾では2014年、「台北市香港商業協会」を立ち上げ、常務理事に就任。現在、日本香港協会全国連合会事務局長を兼任。

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