第113回  組班 (チームを作る)

香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)

第113回 組班(チームを作る)

林鄭政権の組閣
極めて新味の薄い顔ぶれ

公務員治港で政治化緩和も

林鄭新長官の下で香港政治は落ち着きを取り戻せるか

地味な顔ぶれの「新内閣」

今回のキーワードは「組班」です。「班」とは「班子」のことを意味し、中国語では一般的に人々の集団、即ち「グループ」や「チーム」を意味する言葉として使われますので、「組班」とはチームを作ることを指します。香港政治の世界で「組班」と言えば、新しい行政長官が、政府の指導層、即ち「領導班子」の人選を行うこと、つまり日本政治にたとえるならば「組閣」の作業を意味します。

一般的に香港特区政府で「領導班子」と言われるのは、政務・財政・法務の3長官と13局長、それに入境事務処長や税関長などの、北京に任命権がある「主要官員」の人たちです。

林鄭月娥・新行政長官が当選後どのような「組班」を行うか、大いに注目されました。一時は教育局長として、日本の人気歌手で、息子の教育論の本が香港でもベストセラーとなったアグネス・チャン氏の名前も挙がるなどしましたが、ふたを開けて見れば、6月初めに各紙が報じた「班子」の顔ぶれは、21名の主要官員のうち、3長官全員を含む10人が留任、10人は公務員からの採用または主要官員のポストの変更で、政府の外から新規に採用されるのは、労働・福祉局長に就任する予定の民主党員の羅致光氏だけという、極めて新味の薄い顔ぶれとなりました。

割に合わない仕事

植民地期の香港では、長官や局長は公務員が担当する、日本で言えば事務次官のようなポストでした。民主化が遅れ、プロの政治家がほとんど存在しなかった香港において、政府各部門の長は行政的な仕事を任される地位という位置づけだったのです。しかし、返還前の立法評議会と返還後の立法会の民主化が進み、議員が政策や法案により厳しい監視の目を向けるようになると、長官や局長は政策・法案への支持を求めて議員を説得するというような、政治的な任務をますます多く請け負うようになりました。

返還直後、政府は政策上のミスを少なからず犯し、これに対して議員や世論からその責任を問う声があがるようになりました。これを受けて、2002年、董建華・行政長官の2期目のスタートにあたり「主要官員問責制」が導入されました。これにより、長官・局長は公務員ではない政治任命のポストとされ、政策分野に対する責任を負い、政策上のミスをした場合は引責辞任もするとされました。

一方、主要官員を担当する人材は、公務員以外からも幅広く採用されるようになりました。金融界を中心とした財界人、自由党や民建連などの親政府派の主要政党関係者、そしてごく限られた人数ですが、民主派からも登用がなされるようになりました。しかし、今回新しくリクルートできた人材は極めてわずかでした。

通常、香港市民が特に歓迎するのは、金融界のエリートや弁護士など、社会階層のトップに近いところで華々しい活躍をしていた人物が、社会に貢献したいという大志を抱いて政府に入るというパターンです。しかし、このような人は、主要官員への転出によって、通常は大幅な収入減を強いられます。加えて、担当する仕事は立法会議員に「乞票」とも称される形で支持を求めて回るような、エリートには自尊心を傷つけられかねないものも多く、私生活も含めてメディアにも厳しく監視・批判されます。ミスや不運が重なれば、袋だたきにされた上に引責辞任という末路もあり得ます。典型的な例は董建華・行政長官時代の財政長官を務めた梁錦松氏でした。外資系金融機関から、はるかに待遇の劣る主要官員に転じ、初めの頃こそもてはやされましたが、最悪の不景気の難局を任され、かつ増税前に駆け込みで高級車を購入したというつまらないスキャンダルで激しく批判された挙げ句、2003年7月1日の「50万人デモ」を受けて、「主要官員問責制」導入以来初の事実上の引責辞任となってしまったのです。彼らにとって、主要官員は割に合わない仕事と言わざるを得ません。

一方、政党が行政長官を出せず、議員の政策立案権が極めて限られた制度の下、政党出身者で高い政策能力を持つ者は多くありません。林鄭新長官に対し、民主建港協進連盟(民建連)は「組班」の参考のために人材の名簿を提供していたと言われますが、結局同党から新たに主要官員に登用される者は現れませんでした。民建連の李慧瓊・主席は、林鄭新長官の「班子」に新しい顔ぶれがいないことは残念と述べています。

「公務員治港」の再来へ?

結局、「組班」にあたっては、消去法で公務員出身者を昇格させるしかないということになります。林鄭新長官自身も公務員出身者であることに鑑みても、新しい政府は公務員による香港統治、すなわち「公務員治港」という色彩の濃いものになりそうです。

董建華・初代行政長官は財界出身で、「商人治港」と言われました。公務員出身の曽蔭権・行政長官は「公務員治港」とされ。梁振英・行政長官は「隠れ共産党員」との噂から「党人治港」などとも評されました。林鄭新長官によって「公務員治港」が再び戻ってくる格好になります。手堅く、政治色の薄い統治がうまく機能すれば、梁長官時代の「政治化」が緩和され、香港政治も落ち着きを取り戻せるかもしれません。
他方、公務員とは上からの政治的任務を忠実に、効率よくこなす存在です。行政長官選挙に北京が大いに影響を与えたことは勿論ですが、主要官員もまた北京が任命するポストです。北京は過去の行政長官が提案した様々な主要官員の候補者を却下したこともあると言われます。林鄭新長官の「組班」は、少なくとも北京が認めるものである必要があり、彼女一人の意向によるものではありません。北京が「公務員治港」を志向したのは、こういった公務員の忠誠心や能力の高さを買ってのことでしょう。

新長官の就任と、地味な「組班」の先に、香港政治は変化を迎えることができるのか否か、それは恐らく、北京の意向によって、大きく左右されることとなるでしょう。(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹

立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

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