工藤祐采さん

香港小姐めざしたワケあり美女

ビキニでポーズをとる工藤祐采さん。2018年8月26日、香港将軍澳のTVBスタジオ特設ステージにて筆者撮影

 「祐采」と書いて「ゆとり」と読む。日本人の血を引く少女が今年の香港小姐競選(ミス香港コンテスト)にエントリーされたとして、がぜん香港メディアの注目を集めた。

 両親は共に亡くなられたというが、父親が日本人、母親は中国人。中国本土で教育を受け、今は香港で一人暮らしをしながら、香港公開大学(日本の放送大学に相当)で学び始めているという苦労人だ。

 地元香港の有名モデルで、財界の御曹司と結婚して、アパレルから玩具まで幅広く事業を営む陳君宣(Qinnie)さんの目に留まり、彼女の強い推しで香港小姐への挑戦が実現した。

 エントリーされた20人のなかでも、長身で肌質の白さがひときわ目につく。おとなしそうな雰囲気に見えるが、プレスリリースされた将来の抱負には「芸能界で活躍したい」と抱負を述べていた。

 TVBのスタッフに、「日本語でのインタビューは出来ますか?」と申し込んだところ、本人のもとに駆けていったスタッフは、「彼女は日本語がとても不得手で、広東語でのインタビューしか受けられないと話している」という意外な返事が返ってきた。日本人の名前を持つ彼女だが、中国・香港での生活歴が長い。ご両親が亡くなったことで、日本との接点が乏しくなったのだろう。

 今年の香港小姐のステージでは、歌唱やダンス、楽器演奏など、中国本土の選美(ミスコンテスト)並みに個人の「才芸」(特技)を披露する機会があった。しかし彼女が披露したバイオリン演奏は、まだ特技として観衆に聴かせるほどの腕前ではなく、華麗でセクシーなダンスなどを披露した数多いる美女たちの中では埋没してしまった。かくして第二次淘汰の5人はおろか、第一次淘汰の12人にも残れなかった。

 惜しくも「港姐」(香港小姐の略称)の座を逃した彼女だが、今後はTVBの訓練生から始めて、アーティスト(芸人)としての初志を貫いていただくことを期待したい。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・和仁廉夫(わに・ゆきお)1956年東京生まれ。香港で第2次大戦期の日本占領史跡などを扱った『歳月無聲』(花千樹出版・中文)を出版。中国ミスコンに関しては、「広州『姿』本主義〜香港返還もう一つの意味」(霞山会『東亜』20099月号)がある。

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