第54回 建築家

第54回
建築家

 ひと口に「仕事人」と言ってもその肩書や業務内容はさまざま。そして香港にはこの土地や文化ならではの仕事がたくさんある。そんな専門分野で活躍する人 たちはどのように仕事をしているのだろう? 各業界で活躍するプロフェッショナルたちに話を聞く。
( 取材・武田信晃/写真提供・Jane Lukさん/月1回掲載)

日本で積んだ経験を伝えたい

「日本語ですか? 旅行しても大丈夫なレベルにはなりました」と謙遜する(筆者撮影)

香港の建築物と言えば、高層ビルを思い浮かべる人が多い。香港では地震を計算する必要はないが、台風による強風を考慮して設計をしなければならない。高層ビルならより緻密さが求められる。陸沛霊(Jane Luk)さんは、東京の建築事務所でも働いたことのある建築家だ。

ジェーンさんは大阪生まれ。「父が京都の大学院に留学をしている時に生まれました。生後1年くらいしか日本にいなかったのでまったく覚えていません」と笑う。

小さいころからものを組み立てたりするのが好きで、香港大学では建築を学び、卒業後は「呂元祥建築師事務所」に就職した。いろいろなプロジェクトに参加してきたが「設計をするというより、資材、人、管理など、どちらかというとマネジメントが中心でした」という。

ハンガリーの音楽博物館のパース

いつかは海外で働いてみたいと思っていた彼女は、それを実現するため仕事を辞めてワーキングホリデーを利用することを決断する。「英語圏に行く気はなく、(文化が異なる)日本かドイツを考えていました。最終的に日本を選んだ理由は、両親が私より日本語が上手で母親は香港でも日本語を勉強していたし、香港に住んでいても日本の歌やドラマ、食べ物などが流行していて、生活のどこかで日本と接する機会が必ずありました。そして建築の本を見ると、伝統と先端技術が融合していて面白そうと感じたのです」と「生まれ故郷」に戻った。

来日後すぐ就職活動を開始し、建築家としてのスキルの高さが認められ、「日建設計と藤本壮介建築設計事務所に受かりました。日建設計だと香港の仕事とあまり変わらない面があったので、あえて藤本さんのところで働くことを決めました」。

東京スタジアムの設計コンペにも参加した

同事務所は国内チームと国際チームに分かれ、ジェーンさんは国際チームに配属。イタリア、スペイン、台湾などから来た同僚と一緒に世界中の建築案件を中心とする担当となった。「一番うれしかったのは、ブダぺストに建設される音楽博物館『House of Hungarian Music』の案件です。大きく分けて2回の審査があったのですが、世界の建築事務所を相手に勝ち抜くことができました」

順調にキャリアを重ね、直属の上司は創業者の藤本さんだけになった。これ以上のキャリアアップは望めず、朝早くから深夜まで働き詰めだったこともあり、環境の変化が必要と考えた。香港時代の勤務先の人とは退職後も連絡を取り合っていたため「日本での経験を生かしてほしい」とのオファーを受けて、前の会社にチーフの肩書で再就職した。

最近、日本での生活を描いた『東京。夢。生活』<三聯書店(香港)>を出版した(88ドル)

「デザインという意味では、日本の方がたくさんの経験を積めます。注文住宅1つとっても、お客さんの意見を取り入れなければなりません。神楽坂にある、とある神社は古いものを生かしつつ新しい設計コンセプトを取り混ぜています。香港には若くて有能な建築家はいますがなかなか経験が積めないので、そういう面を伝えていきたいです」

香港の大型設計コンペは外国の設計事務所が受注する場合が多いが、「ぜひ地元のジェーンさんが勝ち取ってください」と筆者が振ると「友人からも同じことを言われます。その立場になれるかわかりませんが、頑張っていきたいですね」とほほ笑んだ。

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