第112回 大和解(大いなる和解)

香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。
(立教大学法学部政治学科教授 倉田徹)

112回 大和解(大いなる和解)

社会の分裂解消へ
民主派が政府との和解論展開

世論は政治抗争続きに疲れ

民主派との和解に意欲的な林鄭月娥氏

突然の特赦論

今回のキーワードは「大和解」、字面の通り「大いなる和解」を意味します。

4月18日の『明報』紙は、民主党の胡志偉・主席へのインタビュー記事を掲載しました。胡主席は、林鄭月娥・次期行政長官が実際の行動を通して社会の分裂を解消する必要があると述べ、その一つとして、基本法第48条に規定された、行政長官が刑事犯の刑罰を赦免または軽減できる権力を利用し、2014年の「雨傘運動」に関して逮捕された者を特赦するという「大和解」の構想を提案したのです。

「雨傘運動」では、道路占拠期間中に逮捕された者が955人、事後に逮捕された者がすでに50人近くに達しています。胡主席の提案では、道路占拠に加わった民主派側の者だけでなく、旺角でデモ取り締まりの際に過剰な暴力を振るったとして逮捕された元警官の朱経緯氏や、占拠に加わっていた曽健超氏に水をかけられたことに激怒し、曽氏を物陰に担ぎ出して集団で暴行を加えた7人の警官も特赦の対象とすべきとされました。

このアイデアは、当初民主派・親政府派の一部からの賛同を得ていました。しかし、警官の暴力を赦すことへの疑問や、そもそも「セントラル占拠行動」は逮捕されることを前提に、覚悟の上で行った「市民的不服従」であったことなどから、民主派内はおろか民主党内からも、賛同よりはるかに強力な異論が噴出しました。一方の親政府派からも、法治は妥協・交渉可能との誤解を与えるとして、この構想に対する異論が多く、胡主席は特赦論掲載日の夜には撤回・謝罪に追い込まれました。

過去にもあった「大和解」論

今回の胡主席の「大和解」論はいかにも唐突で、インタビューを掲載した『明報』紙が自ら社説で批判するなど、様々な方面から攻撃されましたが、民主派から中央政府・香港特区政府との「大和解」論が展開されたのは初めてのことではありません。大きな話題になった例として2004年の事例が挙げられます。

2003年7月1日の「50万人デモ」以来、香港では民主化要求が高まりましたが、2004年4月26日、全人代常務委は2007年行政長官普通選挙を行わないとする決定を下しました。市民の間では中央政府への反発が強まり、6月4日の「天安門事件」追悼集会は、事件15周年の区切りであったこともあり、1990年以来最多の参加者8万2000人(主催者側発表)を集めました。

しかし、民主派はここで北京との和解に乗り出しました。2007年普通選挙運動の挫折から、民主派は北京が香港の政治体制に対する決定権を握っている現実を認め、北京との対抗ではなく、協力・対話によって普通選挙を実現する戦略に転じたのです。民主派の劉千石・議員は6月9日の立法会で、「中央と民主派が対立を続ければ、必ず香港の利益を損ね、対立が続けば、結果は相討ちしかない。私は中央と民主派は『敵か味方か』の関係であってはならないと確信する」と説きました。民主派の指導者的存在である李柱銘・民主党元主席も、6月23日の立法会に「香港人が団結し、中央政府と手を携えて協力し、真の『一国二制度』『香港人による香港統治』『高度の自治』の政策の実現に力を注ぎ、香港の成功の礎を守る」ことを訴える議案を提出し、「中央と香港が率直な交流と対話を行い、一定の協力関係を築くことさえできれば、香港の政治的雰囲気は大いに改善されるだろう」と述べました。

その背景には民主派の支持喪失がありました。北京に却下され、事実上不可能になった普通選挙にこだわり続けることで、民主派の支持率は低落傾向にあったのです。民主派は香港市民の求める現実的な政策への転換を強いられたのでした。

「大和解」への可能性は?

今回、「特赦論」は挫折しましたが、世論の状況は2004年当時と類似しているようにも見えます。普通選挙は実現可能性が見通せず、民主派にこの状況を打破する手立てがないことはすでに市民に見透かされています。林鄭次期長官は大人気とは言えませんが、現時点では比較的ソフトな言動で、支持率を少しずつ伸ばしています。市民の反大陸感情や、梁振英・行政長官の不人気を「追い風」にしてきた民主派には、これまでと異なる論点や行動が求められています。

「大和解」への兆しはあります。4月14日には立法会議員の訪問団が、香港の水道の水源の視察を名目に広東省を訪れました。そのメンバーには過激な民主派の「長毛」梁国雄・議員も含まれました。中国本土への通行証を所持していない梁議員は今回限りの通行証の発給を受けました。黄色いリボンを身につけて本土入りした梁議員は、チェックポイントで審問されたものの、無事本土に入ることができ、スローガンを叫ぶなどの行動にも出ずにおとなしく視察を終えました。5月4日には親政府派と民主派の立法会議員総勢10人による初めての合同食事会も開催され、政策論議が交わされました。林鄭次期長官も民主派との和解に乗り出したい意向を持っています。民主党員の羅致光・元立法会議員を局長として迎える構想や、民主派政治団体「民主思路」の湯家ڤ~氏を行政会議に招く計画などが報じられています。

しかし、林鄭氏の思惑通りに「大和解」が進むかどうかは、必ずしも彼女一人の力では左右できません。まず中央政府の態度が重要です。中央政府が任命するポストである高官の人事には、中央政府の首肯が必要なことは常識です。北京が民主派の者をどの程度受け入れる用意があるかが問われます。民主派の一部の穏健派を政府に「一本釣り」することは、過去の例では政府と民主派の関係改善よりも、「一本釣り」された者が民主派を離れるだけに終わっています。「大和解」のためのより大胆な策を打ち出せるでしょうか?

過去5年間の政治抗争続きに疲れた世論には、確かに「大和解」を求める空気が漂っています。それに答えられるかどうかは、新長官・中央政府・民主派の意思と能力にかかっています。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹
立教大学法学部政治学科教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、035月~063月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞

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