日本情報への転向で売り上げ拡大

 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
(インタビュー・楢橋里彩)


日本情報への転向で売り上げ拡大

香港角川有限公司
董事長 居駒昭太さん
【プロフィール】
 1970年生まれ。成蹊大学法学部卒業後、カナダアルバータ州立大学でマーケティングを専攻、帰国後9412月角川書店(現KADOKAWA)に入社(広告部門所属)。20134月香港角川有限公司董事、146月同社董事長に就任、現在に至る。


——御社が発行している「月刊香港ウォーカー」は日本の魅力を発信したものとなっており、まさにインバウンド事業として大きな役割を担っていますね。

 角川グループの「ウォーカービジネス」は、ご当地の人のための、ご当地の人による、ご当地情報というのがコンセプトなんです。これは2007香港ウォーカーも同じです。それを3年前に大きく方針転換して今の香港ウォーカーがあります。今でこそ多くの方に愛読書として慕われていますが、現在の事業展開の土台を構築するにはかなり苦戦しましたね。実は3年前までは現在の売り上げの2割もなかったんですよ。

——雑誌事業より輸入販売のほうが多くを占めていたということですか。

 そうです。この3年で香港ウォーカーブランドの立て直しを図り、今ではこのブランドを軸とした雑誌・広告事業が全社事業の5割超えるまでに成長を遂げました。しかし、ここまでくるには、現地社員と腹を割って話をし、一緒に考え、アイデアを出し合い、一冊を作るまでが、成功と失敗の繰り返しでしたね。「香港ウォーカー」イコール「日本情報誌」という確固たるブランドポリシーを作ることができたのも、編集部としっかり向き合うことができたからこそと思います。

——立て直し最初の号は「夜景特集」でしたね。

 香港人向けの雑誌に夜景特集はありえないとスタッフにも随分いわれたんですが、私は売れる自信がありました。夜景を見慣れた香港の人だからこそ、もし日本の夜景を紹介したらきっと新たな発見が提案できると思ったのです。日本の夜景には「静」と「動」があり、そのことを日本の夜景評論家にご協力頂きながら、メジャーな夜景スポットからあまり知られてない場所まで紹介しました。おかげさまでこの特集号は大ヒットしました。特に六甲山や函館山、都心を望む夜景などが特に好評でしたね。香港を代表する夜景は色やフラッシュを多用しているので、香港人にとって夜景とは「派手」とか「豪快」をイメージするそうですが、日本の静寂な中での夜景は当時においては大変新鮮で、ある種の驚きさえ覚えたようです。大都会日本にある「静」の夜景は新たな観光コンテンツだともいえると思います。

——ヒットはどのような目安があるのでしょうか。

 出版業界では印刷部数の8割が売れると「完売」と言います。梱包しているので上と下の雑誌は傷が付くため外し、さらに立ち読みなどで古くなったものも外すと、総量の8割が販売できる商品となります。今のこのご時世紙媒体は、紙媒体が健在な香港とはいえ、休刊も増え日本と同じように難しい市場です。こうした中で5割の売上げを出すということさえも実は難しい環境なのです。よく今雑誌は読まれないとかSNSの時代とか言われますが、私からすると雑誌が読まれないというより読みたい雑誌がないだけなのではと思うのです。外注で雑誌を作る傾向が増す中で、編集自らが現場に出て汗をかき、取材をし写真を取り、目に焼き付けたものを書くという作業をしていること自体、珍しくて、実は弊社グループでも香港ぐらいなんです。

——インパクトを与えるため、どんなことを意識されているのですか。

 雑誌を手に取ってくれた人に、最低3つの発見(刺激)を提案できるように心掛けています。写真は見開きを一つの画としてインパクトを与え、読者に想像力を与えること。エンタメ業界はいかに受け手の想像力を「クスグル」かだと思っています。それには取材した編集者の情熱が必要になります。以前、熊本・阿蘇山付近に編集者が撮影取材に行きました。生憎の天気で連日台風でした。締切りまでぎりぎりでもう時間ない、諦めようかと思った次の瞬間、雨雲から太陽がそっと顔を出したんです。近くに生息している野生の馬たちに光が差し込む神々しい光景、これはその場にいた人間の感性と想いがないと表現できないものです。その写真は2ページを贅沢に使用し表現しました。これからも愚直に現場感を大事にし、時には斬新で奇想天外な発想をもってコンテンツを作っていきたいですね。

(この連載は月1回掲載します)

【楢橋里彩】
フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。
ブログ http://nararisa.blog.jp/

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