未来をつかめ ~ボクの新米記者奮闘記~

キミはどんな仕事をしたいのか?

 ボクは皆さんに自分の人生について語りたい。とはいえ、ボクは学業優秀でもなかったし、栄光と挫折に満ちた波乱の人生を送ってきたわけじゃないんだけど。もし社会の手本となるような格式張った人生だったら、みんなに関心を得にくいだろう。

 キミはどんな仕事をしたい? 人それぞれ考えがあり、人それぞれの志があるだろうけど、とりあえずボクの体験を話したい。ボクはある雑誌社で社会人生活を開始した。この雑誌社はボクに、他の場所では得られない豊かな人生経験を与えてくれた。

 2011年、ボクは香港中文大学で文化研究の修士課程を修了し、『鏡報』の最年少の記者になった。『鏡報』は政治評論の雑誌だ。月刊で毎号全96頁。この雑誌の規模は大きくはないけれど、1977年8月の創刊で、市場競争の洗礼を受け、今まで既に40数年の歴史がある。

 一般的なメディアとしての編集、撮影、取材、執筆の仕事以外に、ボクはすでに創刊記念パーティで一千名を越える賓客を招待する仕事を任されたり、押し車で郵便局に読者への出版物を郵送に持っていったり、SNSで会社のアカウントを開いて運営したりで、色んな仕事を経験して、視野を広げられた。

 ボクが『鏡報』の仕事の感想を簡単に述べるとすれば、仕事の心構えを叩き込み、自信をつけさせて、成功感を得させてくれた。力強く、暖かく助け合う体験を通じて、ボクに深い気づきを与えてくれたと思う。

 ボクが仕事で多くの達成感を得られたのは、3つの要因があるだろう。第一に、とても仕事が楽しく、満足感があり、ヤル気と積極性を後押ししてくれたこと。第二に、自主性が強く、広い範囲でチャレンジが出来る場所であったこと。第三に、良好なコミュニケーションの環境があったこと。千里の道も一歩から。1つの積極的な環境の下で、社会人生活を展開できたことにとても感謝している。ヤル気は非常に重要で、それは効率や仕事ぶり、入れ込みかたにもつながるからだ。

 想像するに、もしキミが毎日、イヤイヤな気分で出社し、社内でも落ち込んで、いつも自分の嫌なことをやって、やり甲斐もなく、うつろな気分で退社して、次の日もこんな具合で、毎日繰り返すような状況だったら、とてもツライことだろう。長期間このような心理状態が続けば、遅かれ早かれうつ病になるだろう。同僚や社長から見ても、キミが好印象を与えるのは難しい。このような仕事環境で良いことがあるわけがない。

 だからもし誰かが「若者はまずどのような仕事を選ぶべきですか?」と問うならボクは、55歳のサラリーマンにはできず、25歳の青年に出来る仕事とは何か?それこそが最良の選択だと答えるだろう。収入が安定した仕事は、どのような人にとっても良いものだろう。しかし、新しいチャレンジで、ゼロから仕事を覚え、つねに想像力を発揮する必要があるような仕事こそが、青年にはふさわしい。

 青春は尊い。あっという間に中年となる。なぜ満足感、達成感を得て、スキルを向上させる仕事にチャレンジせずにいられようか。チャレンジが許される「幅」によって、自己実現は可能となり自信は確立される。

 ある青年が職業を選択する時に、安定を優先するとしても、責めることはできないが、これには弊害もあるだろう。もし職場で複雑な仕事を任され、様々な人々と関わり、重要な仕事を得る…青年がそのような社会人生活を始められるなら、素晴らしいことじゃないだろうか?

 『鏡報』には、お互いに助け合って困難を共に乗り切る社風があって、社内の各人が顔を合わせる機会が多く、お互いの距離が近かった。社長も社員も常に一緒に色んな仕事をこなした。特に大きなイベントがある時は、職位に関係なく、みんながアリのように動き回って、一緒に力を合わせた。この社風は『鏡報』の創刊の頃にルーツがあると思う。

 『鏡報』創業者の徐四民先生は、ミャンマー華僑の著名人である。長年にわたり、鏡報は徐先生と数名の社員の支えによって刊行され続けられた。歴代の社員は、徐先生じように、数世代にわたって海外にいた、ベトナム、インドネシア、ミャンマー、フィリピンの華僑である。雑誌内の人々も似たような背景を抱えていた。

 会社は何度か引っ越しをしたけど、オフィスの構造は全て開放的な設計で、みんな部屋のドアを閉めるのに慣れなかった。徐先生は重要な公職にあり、社会的に知名度の高い人物であったけど、彼はずっと社員を仲間と思い、強力な帰属感と団結力を作り出し、同じ場所で長年仕事をし、お互いに助け合った。私が入社した時、徐先生はすでに亡くなられており、雑誌は彼の子供に受け継がれていたけれど、この社風も守り受け継がれていた。

 ボクはこのような良好な社風に恵まれた中で成功感を得た。青年のために言うと、暖かく優しい社風は、種子を発芽させる肥えた土地のようなもので、彼らはそこから激励を得て、成功感、幸福感を得るのだ。ある人が言うには、快適な環境は人の志が育たない、艱難辛苦がなければ、卓越した能力は育たないそうだ。

 もし別の角度から見れば、安心できる環境でなければ、いかに自信を発揮して、チャレンジができるだろうか。たえず内省に励み、時間と心血を注いで自己の改善を続け、全ての成就を深く信ずるのみである。

【徐四民】1914年生まれのミャンマー華僑。祖籍は福建省アモイで、アモイ大学卒業。ミャンマーで新聞『ヤンゴン光報』、香港で月刊雑誌『鏡報』を創刊。ミャンマーで反日活動を組織し、抗日戦争と中華人民共和国の建国を支援。全国人民代表大会代表や、政治協商会議の常務委員などを歴任。香港返還時に香港特別行政区準備委員会と基本法咨問委員会に参加 。大胆な発言が有名で「徐大砲」のアダ名で知られた。2007年香港で肺炎による合併症のため死去。享年93歳。

〈筆者紹介〉
張卓立(David Cheung Cheuk Lap)
(香港メディア『鏡報(THE MIRROR)』記者。

香港バプテスト大学メディア管理修士、香港中文大学文化研究修士、香港珠海学院ニュース・メディア学学士。自費出版の『活出大未来』で新人記者がメディアの仕事を通して得た経験を交え、若者に将来に対するプラス思考のススメを説いている。

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