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最新号の内容 -20140124 No:1399
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2014年版
香港の伝統行事




 香港には古来からの伝統行事が数多く残っている。「道端で線香をたいてスリッパをたたいているお婆さんは何をしているの?」「家族で夕飯を食べるから早退したいと香港人スタッフに言われたがなぜ?」など、日本人にとって不思議に思えることがたくさんあるだろう。2014年は明けたけれど、香港人にとっては新正月ではなく旧暦新年こそが1年の始まり。そこで、まもなく年越しを迎えるこの時期に旧暦カレンダーと行事を一挙に紹介。これから始まる新年の香港人とのお付き合いにぜひ役立てて。 (構成・編集部/挿し絵・永田薫)

 ※日程などは、予告なく変わることがあります。なおこの特集は、新雅文化事業有限公司『節日』『中国文化』、博益文庫『懐舊香港地』、奔馬出版社『香港風物趣談』、山邊社『中国節日故事』、田畑書店『海外生活情報・香港』、香港政府観光局『香港の観光と文化』などを参考にしています。書本によって、例えば七夕や中秋節などのストーリーや表現がかなり違っているものがありますので、併せてご了承ください。 
 


 

謝灶
旧暦12月23日 (1月23日)



 かまどの神さま・灶君をまつる行事で、2000年くらい前から行われています。元来、かまどの神さまは、天上界の玉帝(ぎょくてい)が人間の世界を視察するために遣わした役人です。彼は台所のかまどに住んでいて、毎年1回、新年の1週間前に、それぞれの家の中の状況や人々の行いを玉帝に報告しに天上界へもどります。だれしも悪い報告はされたくありません。ですから、人々は、謝の日になると、かまどをきれいにしてから、わざとあめや麦芽糖、甘いおかしを供えます。甘いおかしを食べた君は、玉帝の前へ行っても、口が甘ったるくなってモゴモゴ、ベタベタ。悪い報告ができなくなるというわけです。


 
 

過年/年三十
旧暦12月30日 (1月30日)

 大みそかにあたるこの日は、家族が集まって食事をします。故郷の習慣に従って、ギョーザやめんを作る家もありますが、香港出身の人々なら魚や蒸し鶏などを食べます。晩ご飯が済むと、新年の花を買いに花市(ファーシー)に出かけます。


 古来、大みそかの晩には、「年獣(ニンサウ)」と呼ばれる1本ヅノの恐ろしい怪物が街中を歩きまわりました。人々は、家の門に年獣の嫌いな紅色の紙を張り、大きな音を鳴らして年獣を追い払ったそうです。その名残りが今の『春聯(チョンリュン)』(門に飾る赤い紙、めでたい言葉が書いてあります)や爆竹(1967年の暴動以降、音だけの録音テープになってしまいました)に残っているのです。




 

農暦新年/年初一
旧暦1月1日 (1月31日)

 中国の行事暦の中で、最も重要な祝祭日。朝遅く起きてお祝いをします。日本のお正月と同じ感覚で、ごちそうは精進料理、前もって作っておくので、主婦は休業。新年には年というおもちを食べるので、年末にお歳暮のようにお世話になった方へおもちを贈る習慣もあります。お年玉は利是(ライシー)と呼ばれ、既婚者が未婚者に、上司が部下に配ります。独身ならば年齢は関係なくお年玉がもらえるのです。甘いおかしや果物を持って、人々は友人や親せきを訪ねて年始回りに出かけます。初もうでに行く家も多いようです。黄大仙などは新年の運勢を占うためにごったがえします。



 

年初二
旧暦1月2日 (2月1日)

 ビクトリア湾で夜8時ころから盛大な打ち上げ花火が行われます。1982年、ジャーディン・マセソン100周年を記念して始められたものです。今年の花火は、干支にちなんだ「馬のひづめ」や、元宵節と重なるバレンタインデーを表す「赤い唇」などのイメージが登場する予定。


  

年初三/赤口
旧暦1月3日 (2月2日)

 この日は「赤口(チェッハウ)」といってけんかになりやすい日なので、年始回りには行かず、人々はお参りに出かけるか、家で静かに過ごします。特に沙田の車公廟は参拝客でごった返しますが、車公の生誕日は旧暦1月2日です。

 

 

元宵節
旧暦1月15日 (2月14日)

 

 宋の時代からの習慣で、温かい白玉だんご(湯圓)を食べます。「湯圓(トンユン)」が「団円(テュンユン)」つまり一家団らんを表すのだとか。漢の時代からランタンを掛けるようになり、それが次第に唐時代、娯楽的なお祭りになって定着しました。3日間は、当時の夜間外出禁止令から解放され、女性も外に出ることが許されました。ここぞとばかり、恋をささやく若者も多かったことから、この日を「中国のバレンタインデー」とも言います。



 

驚蟄(啓蟄・けいちつ)
旧暦1月19日 (2月18日)



 春、虫や動物たちが土の中から出てくる日ですが、香港ではこの日はなんと、「のろい婆の日」なのです! 恨みたい人の名と生年月日をのろい婆に告げると、のろい婆はそれを紙人形に封じ込め、じゅ文を唱えながら古靴や古サンダルでペタペタ、ペタペタと紙人形をたたき、憎い相手をのろってくれるのです。広東語では、嫌な奴、悪い人のことを「小人(シウヤン)」と言うので、この現代版・仕置き婆のことを「打小人(ダーシウヤン)」と言います。張り子のトラ、ヤキブタなど、独特の装備があり場所もだいたい決まっていて、湾仔のأZ❊V橋(オーケンキウ)下などで見られます。

 

 

洪聖爺誕
旧暦2月13日 (3月13日)

 水上生活者の守護神とされる洪聖の生誕を祝う祭日。香港には8カ所ある洪聖廟で行われる行事は、年間の祝祭の中でも有数の華やかさです。 

 

 

清明節
旧暦3月6日 (4月5日)

 先祖のお墓参りをし、花やお供え物をお線香と共にそなえて供養を行う日で、香港の伝統的な儒教の祭日です。春秋時代(紀元前500年ごろ)に、国王の墓所を掃除する国家行事であったものが、民間に普及したものといわれています。中国人は先祖を大切にするので、一家総出で出かける家族が多く、紙のお金を燃やし、子豚の丸焼きを墓前で切り分けて宴会をする風景もよく見られます。

 
 

天后誕
旧暦3月23日 (4月22日) 

 漁師たちの女神である天后の誕生日を祝う祭日。8世紀、福建省の小さな漁村に、不思議な力を持った少女がいました。ある嵐の晩、漁に出ていた4人の兄の船を、天女となって引っ張って助けたのです。少女は30歳で死んだ後、海の守護神となりました。天后節には、漁師は漁を休み、美しく飾り立てた漁船を連ねて天后をまつった寺院にもうで、1年の大漁と安全を祈願します。香港には24カ所余りの天后廟があり、にぎやかなパレードや中国オペラなどが行われます。

 

 

長洲太平清醮
旧暦4月5日9日(5月3~7日)

 

 初夏の声を聞くと、長洲島では、海賊・張保仔に殺された人々の霊が迷って出て来るといわれています。霊たちを鎮めるため、饅頭(まんじゅう)で作った高い塔を建て、紙のお金や家を燃やし、北帝廟の前まで獅子舞などのパレードを行います。なかでも、仮装した子供を細い棒の上に立たせてねり歩く飄色(ピウセッ=棒と服に仕掛けがしてある)と呼ばれる出し物は名物です。奉納された饅頭が人々に配られることから、饅頭祭の名で呼ばれることもあります。


 ちなみに、昔は饅頭塔に人が競争でよじ登って饅頭を奪い合い、てっぺんの饅頭を取った者は幸運が手に入るといわれ、毎年ケガ人、ケンカの出る祭りでした。1978年、塔が倒れて24人がケガをする事件がおきてから、よじ登る競争は禁止に。しかし市民の要望に応え、2005年に新ルールで復活しました。日程は、例年、3週間ほど前に発表されます。



 

浴佛節
旧暦4月8日 (5月6日)

 お釈迦(しゃか)さまの誕生を祝う祭り。日本の花まつりと同じように、仏に香りのついた水をかける灌仏会(かんぶつえ)が沙田の萬佛寺などあちこちの仏教寺院で行われます。参拝者には、お釈迦さまの沐浴(もくよく)の水という意味をこめて、八宝湯と呼ばれる粥(かゆ)がふるまわれるそうです。

 

 

譚公誕
旧暦4月8日 (5月6日)

 譚公は道教の神さまで、子供の姿をしています。12歳で重い病気をなおしたり、未来を予言したりした神童で、天気を自在に操る力を持っていたそうです。箕湾の漁師たちは、67年に香港でコレラが大流行したとき、譚公がこれを鎮めてくれたと今でも信じています。箕湾ほか譚公廟での獅子舞やドラゴンダンスなどの祝賀行事は一見の価値があります。



 

端午節
旧暦5月5日 (6月2日)

 

 紀元前3世紀、悪政に抗議して汨羅(べきら)へ身を投げて水死した中国の詩人、屈原(くつげん)を記念して設けられた祭日。屈原が入水するところを見た村人たちは、船をこいで助けに行きましたが、間に合いませんでした。彼の遺体が魚に食べられるのを防ぐため、人々は櫂(かい)で水面をたたいて魚を追い払い、竹の葉で包んだちまきを水中に投げ込みました。この故事にならって、中国南部では、龍の飾りをつけた船でレースをする習慣ができました。


 香港ではスタンレー、アバディーンほか各地でボート競争が行われます。この日にはもち米の中に豚肉を入れて蒸したちまきを食べます。

 

 

魯班誕
旧暦6月13日 (7月9日)

 

 

紀元前606年生まれの建築家、発明家である魯班

 魯班は紀元前606年生まれの建築家、発明家で、カンナ、ドリル、ノコギリ、シャベルなどを現在の形に考案しました。道教では土木、建築業に従事する人の守護神として信仰されています。魯班の生誕を祝う式典が、建築組合の主催で香港サイドのケネディー・タウンの魯班廟で行われます。  



 

関帝誕
旧暦6月24日 (7月20日)

 学問と武道の神様として道教で祭られる関帝の誕生日。三国時代に活躍し、忠義と清廉の象徴とされる関帝にあやかるべく、ハリウッド・ロードにある文武廟で線香をたいて像を拝みます。




七姐節
旧暦7月7日 (8月2日)



 織女(しょくじょ)と牽牛(けんぎゅう)の伝説は、1500年以上も昔の中国の伝説にあやかるもの。ある牛飼いの青年が川で水浴びする7人の仙女のひとりと恋におち、仕事も怠けて逢瀬にふけります。やがてこのことは、天上界の西王母(さいおうぼ)に知れ、ふたりは天の川の両岸に分けられてしまいます。年に一度、カササギの橋を渡って会うことだけが許されて・・・。

 中国では、古くから未婚の女性や恋人たちのための日とされ、はた織りをしていた織女にちなんで、針仕事の競技会を行ったりします。香港では、香港島・ボーウェンロードの「ラバーズ・ロック(姻縁石)」と呼ばれる岩にお参りをして良縁を祈願したりするそうです。

 

 

孟蘭節
旧暦7月15日 (8月10日)



 この世に恨みを持って暴れ回る地獄の鬼や幽霊たちが、あの世から1カ月間解放されて、この世をさまよう日とされています。その霊を慰めるために、果物などを道端にそなえ、紙で作ったお金や衣服、自動車などが燃やされます。香港各地の広場などでは、幽霊たちが満足したかどうか見届ける役目の大士王(タイシーウォン)の大きな紙の神様がまつられます。人々が幽霊たちに捧げた贈り物が十分であると認めると、祭りの最後に、燃え盛りながら天へ帰ると言われています。

 幽霊たちを鎮めるために、各地では中国オペラが行われます。初日は幽霊に見せるための舞台なので、人間は見るものではないとされています。

 
 

中秋節
旧暦8月15日 (9月8日)

 

8月15日夜の反乱の呼びかけを書いた紙が月餅の中に仕込まれ、場外の民衆に密令が伝えられた言い伝えから中秋節の風習が生まれた

 元朝末期の14世紀、朝廷は蒙古人に支配され、漢民族は圧政に苦しめられていました。将軍・朱元璋(しゅげんしょう)が兵を挙げ、道士にばけて城内に忍び込んだ軍師の劉伯(りゅうはく)が一計を案じ、8月15日夜の反乱の呼びかけを紙に書いて、月餅(げっぺい)の中に仕込みました。密令はこうして城外の民衆に伝えられ、めでたく元を討つことができたのです。この言い伝えから、中秋節には月餅を食べることが風習となりました。

 月には美女・嫦娥(しょうが)が住んでいるといいます。夫が9個の太陽のうち8個を射落した功績でもらった不老不死の丸薬をこっそり飲んでしまった罰で、彼女は、以後月の世界に住むことになります。

 中秋節の日、早めに仕事を終わった家族が集まって、一家で食事をします。それから、動物や乗り物などのかたちのカラフルなランタンを持って、公園などへ月見に繰り出すのです。月餅、ふかしイモ、ボンタンや二十世紀ナシを食べながら、ろうそくに火をともして遊びます。大坑道では火をつけた龍のパレードが見られます。1880年、村を襲ったウワバミを打ち殺した後、疫病が発生。占いをたてたところ、「ウワバミは海龍王子の化身。息子を殺された海龍王がたたりを成している。村を救うには海龍王の嫌いな火龍をもって封じよ」との卦(け)がたちました。この火龍は重さ1000キロ、長さ60メートル、直径20センチもあり、全身に火の着いた線香を挿し、100人の男に担がれて練り歩きます。

 

   

孔聖誕
旧暦8月27日 (9月 20日)



 儒教の創始者・孔子の生誕祭。孔子は戦国時代の紀元前551年に生まれ、仁・義・礼・知・信の5つの徳を理想とする道徳主義を説きました。コーズウェイベイにある孔子廟では毎年、孔子協会主催の儀式がとり行われます。

 

 

重陽節
旧暦9月9日 (10月2日)



 漢の時代、恒景(こうけい)という人の夢に仙人が現れてこう言いました。「災いから身を守るため、旧暦の9月9日には高所に登り、菊花酒を飲んで心身を清めなさい。」驚いた恒景はこの言葉に従って、街中にふれまわり、家族を連れて高台で過ごしました。帰宅してみると、家の中の鶏や牛は息絶えており、高台に登った人々は命拾いしたーという伝説により、この日は高い場所へ出かけ、厄払いを願うならわしとなっています。

 

冬至
旧暦1月22日 (12月22日)

 公休日にこそなっていませんが、香港では、正月と並んで大切な行事です。1年の無事を祝い、来る年の無病息災を祈って、家族全員が集まって、めでたいごちそうを食べます。この日は、結婚して家を離れた子供たちも集まり、にぎやかな食卓となります。「発財好市(ファッチョイホウシー=財産ができて商売がうまくいきますように)」と髪菜(ファッチョイ)ؤ.٣a(ホウシー)を食べたり、「年年有余(ニンニンヤウユイ=お金が貯まりますように)」と魚(ユイ)を食べたりします。