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最新号の内容 -20130705 No:1386
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「6月4日を忘れろ」 
脱中国化の「本土派」が台頭 


 香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。   (立教大学法学部政治学科准教授 倉田徹)


 

民主派のさらなる分裂進む

 

第65回
「風雨不改」(厳しい環境の中にあっても意志を貫くこと)

 

大雨で中断された今年の天安門事件追悼集会 

 

長年の苦労に耐える 

 今回のキーワードは「風雨不改」です。「風雨」はここでは襲いかかるさまざまな試練を象徴する言葉であり、そのような状況に置かれても態度を改変しないこと、つまり厳しい環境の中にあっても意志を貫くことを、「風雨不改」と称します。

 毎年6月、香港紙に「風雨不改」の四字が現れるとすれば、恐らくその多くは、天安門事件追悼集会の開催を毎年続ける人々の意志を称賛する文脈においてでしょう。1989年の事件発生からすでに24年が経過しています。翌年から始まったキャンドル集会は、1997年の返還後に集会が続けられなくなるのではないかとの憂慮に始まり、返還後は開催を続けることはできたものの、しばらくは集会の参加者数も増えず、時とともに事件が忘却されるのではないかという問題にも直面しました。主催団体である「香港市民支援愛国民主運動連合会(支連会)」を長年率いた司徒華氏も、2011年にこの世を去りました。まさにさまざまな「風雨」を経験しながらも、この集会は今に到るまで脈々と続けられてきたのです。

 

全く新たな「風雨」:「愛国」をめぐる対立

 ここ数年は、ネット動員や中国本土からの個人旅行客の効果もあってか、集会の参加者数は昨年最多記録を更新するなど年々増加しており、民主化要求にとっては追い風とも思われる状況が続いてきました。しかし、今年の天安門事件追悼集会は、思わぬ所からこれまでにない「風雨」にさらされることとなりました。

 きっかけになったのは、支連会が掲げた今年の集会のスローガンでした。支連会は毎年の集会を前に、その年の集会で叫ぶスローガンを決定しますが、4月に支連会が決定した今年のスローガンの中には、「愛国愛民」という一語が含まれていました。この言葉は1989年の香港でも中国民主化支援活動で使われていたものであり、今年3月に全国人民代表大会法律委員会の喬暁陽・主任委員が、普通選挙で選ばれる行政長官は中央政府と対抗しない愛国者でなければならないと発言したことから始まった論争を踏まえ、「愛国」の定義を中央政府に独占させまいとの意図を込めて採用されたものです。

 しかしこれに最近「香港都市国家自治論」を掲げて活動している陳雲氏をはじめとする「本土派」がかみつきました。「本土派」とは、急速に進む「中港融合」が香港にもたらすマイナス面を強調し、中国本土と香港の境界を明確にすべきと主張する人々で、ネットを通じて支持が広がっています(ややこしいのですが、ここで言う「本土」は、中国本土=大陸という意味ではなく、「香港本土」を指しています)。「本土派」は非民主的な中国と一線を画すことによって香港の民主化が進展すると考えます。陳雲氏は、中国の民主化は香港と無関係であり、天安門事件の名誉回復は共産党の統治に正統性を与えるのみであるとして、「愛国」をテーマにする支連会の追悼集会に香港市民が参加しないよう呼びかけたのです。

 中央政府との交渉を重視する穏健民主派と、中央政府との対抗を重視する過激民主派という立法会内部の民主派の分裂に対し、「本土派」は中央政府を無視するという新たな姿勢を打ち出しています。穏健民主派が「毋忘六四(6月4日を忘れるな)」と伝統的な天安門事件追悼集会を行い、過激派が警察との衝突も辞さない過激行動を志向するのに対し、「本土派」は「忘記六四(6月4日を忘れろ)」と主張するのです。この対立は民主派の分裂が一層進んだことを物語ります。

 また、「本土派」の天安門事件に対する冷めた態度は、中国本土と物理的・心理的・政治的に香港以上に距離がある台湾の状況に似ています。「中港矛盾」とネットという新たなメディアの登場により、香港でも台湾的な「去中国化(脱中国化)」の議論が行われる空間が生まれたと言うことができるでしょう。北京から見れば、これは極めて深刻な問題です。

 もっとも、支連会にしてみれば、近年穏健民主派としばしば論戦を繰り広げている過激派や「本土派」からの攻撃は想定内であったかもしれません。しかし、「愛国」スローガンは思わぬ所からも批判を受けました。支連会と密接に協力してきた「天安門母親運動(天安門事件で子どもを失った母親たちによる組織)」の発起人・丁子霖氏が、「愛国」は中国本土では共産党を愛することを意味し、それをスローガンに掲げることは愚かだと支連会を非難したのです。もともと支連会は、「本土派」による支連会への攻撃に反論するよう丁子霖氏に求めていました。にもかかわらず、丁子霖氏から逆に批判されると、今度は支連会が丁子霖氏に感情的な非難の言葉を浴びせ、追悼集会直前に内部対立の醜い側面をさらしてしまったのです。最終的に支連会は丁子霖氏に謝罪し、「愛国愛民」スローガンも取り下げられました。

 

「風雨」の中の集会に15万人

 これらの「風雨」の中で6月4日夜開催された天安門事件追悼集会は、ついには文字通りの風雨にも襲われました。集会開始直前から大雨となり、24年目にして初めて式典を途中で中止せざるを得なくなったのです。これにはネット上で、中国政府が人工降雨を仕掛けたとの陰謀論まで飛び交いました。

 それにもかかわらず、参加者は支連会発表で15万人、警察発表で5万4000人と、相当の多数に上りました。支連会発表で過去3位タイ、警察発表でも歴代7位の動員数は、大変な悪条件を考慮すればまずまずであったと言えるでしょう。これには、「本土派」のボイコットの呼びかけがかえって穏健民主派に危機感を呼び、動員にプラスに働いたとの見方もあります。

 世界の民主化の歴史を見るに、弾圧や困難は民主化運動を混乱させ、萎縮させることもあれば、むしろ強い抵抗の原動力になる事例も少なくありません。天安門事件追悼集会が24年間に経験した「風雨」は数知れませんが、それが運動を強くさせ、今日まで続けさせているのかもしれません。

(このシリーズは月1回掲載します)


筆者・倉田徹

立教大学法学部政治学科准教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞