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最新号の内容 -20130412 No:1380
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和製ドラゴン
倉田保昭さんインタビュー

インタビュアー・楢橋里彩
撮影・馮耀威

 


 


 日本を代表するアクション俳優の倉田保昭さん。香港ロケが行われたテレビドラマ『Gメン75』での活躍を思い出す読者も多いだろう。倉田さんは一昨年、香港で空手道場をオープンし、後進の育成に力を入れている。倉田さんの人生を大きく左右したという香港とのかかわりを語ってもらった。

 

空手道場で香港に恩返し


 

———大学時代は映画監督になる勉強を?

 進学した日本大学芸術学部は演出、演技のコースがあったのですが、演技は自分の柄じゃないと思い演出を選びました。同期には12代目市川団十郎、相良なおみ、マイク真木、初期ジャニーズグループの飯野おさみ、そして田辺靖雄がいました。 


———そうそうたるメンバーですね。 

 良い刺激をもらっていた一方で自分の方向性がなかなか定まらない。そんなとき友人から「東映向きだから俳優になったらどうか」と。そのころ東映俳優の一期生を募集していて何とか役はもらえたもののぱっとしない。当時は学生運動が盛んな時代で、就職もできないまま卒業し、六本木の中華料理屋でアルバイトをしていました。このままではどうなるかと不安だらけの毎日。そんな生活を2年していたころ、あるプロダクションから香港映画のオーディションを受けないかと声をかけられたんです。


———それが人生を大きく変えるきっかけになるんですね。

 当時は香港映画なんて知られていないころ。自分がどこかに売られてしまうのではと思いましたね(笑)。でもこのまま日本にいても何も変わらない。やるなら今だと思いました。


———2週間の撮影期間が2年になったとか。

 撮影が終わっても次々とオファーがかかる。信じられませんでした。その上現場が本当に楽しかった。水を得た魚のようにとにかく夢中で演技してきました。日本人は私だけだったので撮影中は通訳が付きましたが、それ以外は1人。そんな私をスタントマンや俳優たちが気軽に食事に誘ってくれました。
 


———ブルース・リーとも交流があったそうですね。

 ある方の紹介でプロボーラーのロバート・チャンを紹介されたのがきっかけです。ロバートは当時ブルース・リーのお姉さんのボーイフレンドでした。ある時ロバートから「ブルース・リーに会わないか」と。連れて行かれたのがゴールデンハーベストのスタジオでした。


———会った印象は?

 映画『フィッシュオブフィスト』の撮影をしていた彼を緊張して待っていたのを覚えています。わざわざ撮影を中断してまで会ってくれました。実際に会ったらとても小柄。笑顔で差し出してきた右手の握力がすごいのなんのって。その感触は今も鮮明に覚えています。そのまま武道の話で盛り上がりました。持参していた自分のヌンチャクをあげたら、お返しに腹部に巻く防具をくれました。その後もカフェで会ったり食事などで交流を深めました。


———倉田さんにとってブルース・リーという人物は?

 素晴らしく尊敬に値する人。会った当初から「武道の魅力を映画を通して全世界に伝えるんだ」ということをよく話していました。まだ当時は武道なんてほとんど知られていなかった時代です。とにかく未来を見据えて熱く生きた人です。  

 


Gメン75香港ロケを主導


———ドラマ『Gメン75』は最高視聴率が32%という人気でしたが、この現象をどうみていますか。

 表情の変わらないクールさが受けたんでしょうね。当時は『太陽にほえろ!』と競っていましたが、『太陽〜』は泣く笑うといった感情や食事シーンがあったのに対し『Gメン75』は刑事の生活感が全く表現されなかった。いつも寒いところで凍えそうになったり、そこがこれまでにないスタイルで受けていたのかもしれない。


———その中でも特に「香港カンフーシリーズ」は人気でしたね。

 当時、香港もすごかった。香港ロケで行ったら子供たちがロケバスに鈴なり状態。香港では視聴率が75%だったんです。放送時間になると街から人が消えるといわれていました。  


———そもそもカンフーシリーズをつくったのは?

 私です。当時はプロデューサーが海外ロケに消極的だったので、じゃあ全面的に自分が責任を持つからと。自身の出演以外に役者の通訳、食事の手配などすべてやってました。


———宿敵役のヤン・スエと闘うシーンも見どころでした。

 彼は毎回死んでしまう役でしたが、いろいろな役を快く引き受けてくれてた。このドラマを通して香港カンフーの面白さを世間に分かってもらえたのではと思っています。


———4年半出演された後は?

 朝から晩までドラマ撮影の日々から新たなものを見いだしたくなりました。それで降板したが現実は甘くなかった。全く仕事がない。当時、香港ではジャッキー・チェンが俳優としてスクリーンに出始めたころでした。その彼が撮影で日本に来た時に会ったんです。彼に現状を伝えたら、香港で一緒に仕事をしようといわれました。そこからトントン拍子に俳優・映画監督のサモ・ハン・キンポーの会社と3本契約しました。


———映画『フィスト・オブ・レジェンド』では、ジェット・リーと目隠しでの激しいアクションシーンが印象的でした。

 あれは本当に大変な撮影でした。お互いに息が合わないとできない。1シーンを2週間かけましたから。NGだらけでしたよ。自分がOKと思ってもまた撮り直し。


———クオリティーにこだわる姿勢を感じますね

 これがまさに香港映画の財産だと思う。香港はアクションシーンにおいて今も昔も変わらず世界一ですから。ハリウッドだってあんな複雑なアクションシーンなんてできないですよ。


———香港映画が世界で通用しているのはなぜでしょう?

 アクション監督とスタントマンの素晴らしさに尽きます。特に監督はカメラも回し編集など一通りできるのでキャストとの話も早い。お互いに望むことが瞬時に分かり合える。これこそ世界に通用するものだと思っています。


———一昨年秋に香港に空手道場をオープンしましたね。

 今の自分が香港のために何ができるか考えたときに、日本人の持つ武士道精神を香港の人たちに伝えたいと思いました。今は子供から大人まで幅広い年齢層の人が学んでいます。


———倉田さんにとって香港とは?

 香港がなかったら今の自分はないと言い切れるほどです。香港は私の人生に光を与えてくれた。日本人として映画に出演することに幸せを感じます。これからも精神的、肉体的に極端に「日本人」であり侍魂を持ち続けていきたい。そして私を生かしてくれた香港に恩返しをしていきながら、未来のアクションスターを育てていきたいと思います。
 


 

未来のアクションスター育成
空手道場 創武館



 日本人のもつ武士道精神を香港で伝えていきたいと、2011年11月にコーズウェイベイに空手道場をオープン。赤字覚悟でも香港で始めたかったという道場は現在子供から大人まで30人が在籍している。香港では特に礼儀作法とあいさつを徹底、特に今の子供たちには強くたくましくなってほしいと厳しいけいこも大好評。大人、子供、女性、プライベートと教室の種類も充実している。ストレッチ、筋トレを中心とした女性向けエクササイズクラスもある。

 

所在地:香港灣仔軒尼詩道423-425號 嘉年華商業大廈14樓
電話:2407-7001
Eメール:kurata.karate@gmail.com
ウェブ:http://www.kuratakaratedojo.com.hk


【プロフィール】世界で活躍するアクション俳優。1946年生まれ、茨城県出身。空手5段、柔道3段、合気道2段。71年『悪客』で香港映画デビュー、香港映画界でスターとなる。これまでの香港映画出演作品は100本を超え、『七福星』ではジャッキー・チェンと共演。日本では『闘え!ドラゴン』『Gメン75』が代表作。2011年には香港に空手道場「創武館」を設立、多方面にわたって活躍中