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最新号の内容 -20130308 No:1378
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 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。 
(インタビュー・楢橋里彩)


 

デジタル時代に商品の魅力を   

T.Y.A(H.K)Communications 
Managing Director 植木伸彦さん

【プロフィール】 

早稲田大学社会科学部卒業後、同年、朝日広告社に入社。大阪支社ラジオ・テレビ局、東京本社ラジオ・テレビ局、企画推進室、国際営業部に勤務。95年4月、中央宣興香港有限公司に入社し上海事務所代表、香港オフィス総経理を歴任。98年7月にT.Y.A (HK) Communicationsを設立、現在に至る。

 

——今の会社を設立した経緯は?

 1998年にウェブサイトを中心とした広告・デザイン・マーケティング会社の立ち上げの話をもらったのがきっかけです。東京本社はクリエーティブなアイディアを評価されてましたし、注目のデジタルメディアを扱えるのが魅力でした。

 

——今でこそインターネットは不可欠ですが、当時の香港はどうでしたか?

 日本ではすでに個人でのEメールの普及率が3〜4割に達していましたが香港では1割程度。ウェブサイトもデザインや動きのないカタログ的なものでした。その後、ブロードバンドなどは香港の方が早く普及していきます。

 

——まさに変わっていく渦中だったのですね。

 2001年ごろに一度勢いが止まるまでは企業がこぞってサイトを立ち上げしのぎを削る時代でした。TYAもウェブサイトをはじめとするデジタルの扱いが目立ちましたが、ネットであってもリアルであっても「お客さまの商品をいかに売るか」「商品の魅力的な部分を引き出す」という視点を大切にして事業展開し てきました。

 

——01年にITバブルがはじけた際は大変だったのでは?

 厳しかったですが、ウェブだけがマーケィングの手段ではないと考えていましたのでサービスの機会は減らなかったんです。ただ、高給取りだったウェブデザイナーたちは大変だったでしょう。

 

——差別化を図ることも必要になるのでは。

 日本的な仕事の取り組み方を意識してクオリティーを保つことで差別化してきました。そこを意識しなければ存在意義が無いですから。一方、デザインの方向性一つ取っても異なった文化に暮らして来た香港の人々とは価値観に差が出ます。なぜそんなに掘り下げる必要があるのかスタッフと対立することも日常茶飯事です。それでもやはりディテールをいかに考えるかが基本になっています。

 

——その後もどんどんソーシャルメディアが出てきています。

 香港のネットライフは長く保守的でした。ギブアンドテイクではなくテイクだけ。それが07年ごろからユーチューブ、フェイスブックと広まったことで人々はよりインタラクティブにネットに接するようになりました。香港でもネットは大きなコミュニケーションの場になったと思いま す。

 

——時代に合わせたマーケティングが必要になってきますね。

 情報を効率良く届けることができる時代です。一方で玉石混淆の情報があふれています。ただ届けるだけではなく、いかにメッセージをきちんと伝えることができるかを考えたいです。すると伝統的な広告媒体、ソーシャルメディア、そしてモバイルへの情報発信など工夫すべきところは多い。消費者が購買を決定する 理由もブランドの流儀だったりショップのディスプレーやカスタマーサービスの質など多岐にわたります。デザインを軸としたコンサルティングを押し進め、香港にとっても日本企業にとってもお役に立ちたいと思っています。

 

——中国本土へのマーケティング展開は?

 中国関連のシェアは25%ほどあり、大きな仕事をいただいています。主に手掛けているのは店舗設計とビジュアルマーチャンダイジングです。中国以外にもシンガポール、ベトナムオフィスがあり連携を深めています。

 

——香港で成功するために必要なことは?

 出来る限り楽をしてもうけるというのが香港商売の理想かもしれません。でもその秘けつがどこにあるのかわかりません。流れは見失なわない、でもショートカットは無いという気持ちでいます。時流ではないかもしれませんが。

(この連載は月1回掲載します)


【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。