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最新号の内容 -20130208 No:1376
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香港は「デモの都」    
反政府デモも実態はパレード


 香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。(金沢大学国際学類アジアコース准教授 倉田徹)

 



第60回 「上街」 (デモに行く)
 

毎年恒例の7月1日のデモは近年、参加者数が伸びている

 

不健全な民主主義を補完する役割

 

街に出る=デモに行く 

 今回のキーワード「上街」は、単に「街に出る」という意味の中国語ですが、香港の新聞にこの言葉が登場した場合、大部分は「買い物に行く」というような意味ではなく、「デモに行く」ことを意味します。香港にしばらく住めば分かることですが、香港は非常にデモや集会の多い町です。デモが原因の交通渋滞やトラムの運休などを経験した方も少なくないでしょう。

 多くの市民の間で、デモや政治集会に行くことは習慣として定着しており、時にデモは極めて大規模にふくれあがります。1989年の天安門事件につながった北京の学生運動の際は、香港市民は毎週のように百万人規模のデモを繰り返して学生に声援を送りましたし、今から10年前の2003年には、国家安全条例に反対する「五十万人デモ」が発生しました。このような全社会を巻き込むものに限らず、大学内での学生による行動や、銀行などの特定の企業とのトラブルをその企業の前での集会・座り込みなどで訴える個人の行動など、デモ・集会の総数を数えればどれだけの数になるのか、筆者にも想像がつかないほどです。香港市民は自嘲気味に、「香港はデモの都」などと語ります。



なぜデモが多発するか

 なぜ香港は「デモの都」になるのか、それには香港の政治体制が生んださまざまな要因が、原因として挙げられます。

 まず、香港には健全な民主主義がありません。行政長官と、立法会の半数の議席は制限選挙で選ばれますし、普通選挙で選ばれる立法会議員の権限は制度上極めて制限されており、最近よく見られる審議引き延ばしなどで政府に抵抗する以外には、大きな力を発揮できません。一票で政治を変えられないならば、市民はデモで意見を表すほかありません。

 一方、デモが起きるのは、法の下で自由が保障されているためと言うこともできます。中国本土と異なり、香港の言論や集会の自由は健全ですし、近年、過激派の行動はエスカレートしているものの、今のところは座り込みで拘束される者が出る程度にとどまっており、暴動や警察の発砲などの危険な暴力はありません。したがって、市民は気軽に「上街」することができます。初めて香港のデモを見る人は、「反政府デモ」が実態としては家族連れや若者のパレードのような様相で、拍子抜けすることもあるかもしれません。

 動員力という点では、インターネット上のソーシャルメディアの発展も大きな要因でしょう。毎年恒例の行事である天安門事件追悼集会や7月1日デモの参加者が近年伸びていますが、それらの行事では若者が友達同士で誘い合って参加する姿が目立っており、背景にはネットの動員が存在すると考えられます。これは中東で「ジャスミン革命」と「アラブの春」を、欧米先進国で「オキュパイ」運動を、そして日本で反原発デモを起こした要因とも共通するものです。ちなみに香港では一昨年、「中国ジャスミン革命」デモと「オキュパイ・セントラル」集会がいずれも発生しましたが、この双方が同時に起こった場所は世界でも極めてまれでしょう。

 そして、重要なことは、政府がデモに対して聞く耳を持っているということです。香港では大規模なデモが発生した後は、多くの場合政府が何らかの形でこれに応じます。2003年の「五十万人デモ」は最終的に国家安全条例を廃案に、董建華・行政長官を辞任に追い込みましたし、最近では昨年の「反国民教育運動」集会が、国民教育科の大幅修正を政府に迫ることに成功したことは記憶に新しいところです。

 香港では、議員を選ぶことを通じて政治参加する「間接民主主義」は不健全でも、市民がデモや集会に参加して政府を動かすという、「直接民主主義」に類似した存在がそれを補完していると見ることもできます。手で行う投票に対し、「上街」も足で行う一種の投票です。かつて「五十万人デモ」直後の政府の譲歩を受けて、自由党創設者の李鵬飛氏は「政府が譲歩しなかったらセントラルが血で洗われたかもしれない」と述べました。デモと、政府のそれへの応答が、香港の治安を守っていると言うことができます。

 

デモにデモで対抗する親政府派

 もっとも、言うまでもなく、デモが発生する根本的な原因は、市民の側に不満が存在するからです。「世界一自由な経済」を誇る香港では、近年貧富の格差の拡大は深刻で、不動産の高騰が若者の生活設計に大きな圧力となっています。社会の不公平を感じる者が増え、不公平の原因が不公平な政治にあるとの考え方が浮上するなかで、何らかの具体的な問題が発生すると、それを機にデモが生じるという構図が定着しています。

 最近では今年の元日に、梁振英・行政長官の辞職を求めるデモが発生しました。不法増築問題などにより梁長官の支持率は低空飛行を続けていますが、立法会内で民主派が見せた梁長官への不信任動議や弾劾決議などの動きはことごとく親政府派によってブロックされ、民主派は「上街」によって圧力をかける戦術へと転向しています。

 一方、最近では親政府派もこれに対抗して「上街」の動きを強めています。元日には親政府派が梁振英支持のデモを行い、左派系の組織関係者など多数が政府への支持を訴えました。「支持デモ」主催者は6万人、「打倒デモ」主催者は13万人がそれぞれの組織したデモに参加したと宣言しましたが、いずれも警察発表とは大きな開きがあり、人数を競い合う心理がにじんでいます。

 左派はかつて国家安全条例の論争の際にも積極的に民主派と論戦し、結果として民主派を挑発する効果を生んでデモを大きくしてしまったと言われ、デモ後は多くの左派が慎重に発言するようになりました。最近の左派の行動の活発化は、再び「五十万人デモ」前の状況に戻りつつあるように筆者には思えます。今年は大きな選挙の予定がありませんが、街頭が政治の舞台として重要となりそうです。

(このシリーズは月1回掲載します)

 


筆者・倉田徹

金沢大学国際学類アジアコース准教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞を受賞