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最新号の内容 -20121102 No:1370
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 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
 (インタビュー・楢橋里彩)

 

シルクの魅力
最も体に合う素材

絹工房 代表 池松敦子さん

【プロフィール】
 1977年に立教女子学院短期大学卒業後、ヤマハエレクトーン奏者、教師として活動。80年に渡米、San Francisco Diabro Valley College で音楽専攻。米ギフト企画販売会社に勤務。89年香港に移住。同年、香港日航ホテル内にKINU−KOBO(絹工房)開店。現在は2店舗経営。小売りのほか、香港域内での卸売、日本への輸出、販売を行っている。

 

 ——自然素材に囲まれて気持ちのいい空間ですね。

 最初は絹商品のみ扱っていたのですが、カシミア、麻などでつくられた衣服や小物なども販売しています。1989年香港で開店して以来、世界各国からのお客さまを対象に質の良い天然素材にこだわって提供し続けて参りました。

 

——自然素材の魅力は何でしょうか?

 シンプルな自然素材は、身に付けることによって心地良い安心感から、本来の素の自分を自然に引き出すことが出来ると、私自身が感じています。こんな情報化社会にもかかわらず、絹の紡ぎ方が2000年前と今も同じだなんて感動的ですよね。歴史のロマンを感じます。

 

——そんな絹を身につけるとどんな効果が?

 五感にすべて心地よく作用することが知られています。例えば、目で見て光沢が美しく、皮膚を転がるような感触、そして絹ずれの音が協和音だということも研究の結果としてわかっています。

 

——最初に出店したのが日航ホテルですね。

 24年前当時は香港に縫製工場が多かった時代でした。そんな中、絹商品の輸出専門会社と偶然出会いました。これをビジネスにしたら面白いのではないかと思い、ちょうどそのころ日航ホテル内に空き店舗があったことから運良く出店の運びとなりました。オープン当時はウォッシャブルシルクが世界的に大ヒットしていたこともあり、6坪ほどの小さなお店の外にまでお客さまが並んでいた状態でした。その後2店舗目は中環(セントラル)に出し18年の営業後、銅鑼湾(コーズウェイベイ)に今年移転いたしました。

 

——これまでの24年間の経営の中で大変だったことは?

 イラク戦争、中国への返還、重症急性呼吸器症候群(SARS)、リーマンショックなど……。特に、経営が厳しくなり店舗営業も継続できるかの瀬戸際で、さらにプライベートでもさまざまなことが起こった97年は大変な時期でした。でも、香港で生まれ育った3人の子供たちがいたから、帰国しようとは考えず、踏ん張れたのかもしれません。

 

——そんな中でも続けてきたのは?

 やめたいと思ったことは何回もあります。でも、楽しさと苦しさは紙一重ですから。どんな状況下でもいつもお客さまの笑顔に励まされて今日までやってきています。空港から真っ先に来てくださる常連のお客さまもいて、うれしさを越えて感動です。

 

——商品の買い付けはご自身で?

 そうです。絹だけではなく、ヒマラヤ産のカシミヤはムンバイやデリから買い付けています。ヒマラヤの高地に生息するヤギの毛で作られたカシミヤは最高級の素材です。そういった手作りの良質な素材に出会う感動が原動力となっています。

 

——今後もさらに種類も増やしていく?

 男女そしてさまざまな文化や人種の方々が気軽に身に着けることが出来るショールやマフラーなどの商品を増やして来ました。日本や香港だけだけではなく、それぞれの土地に根付きながら世界中の人々に向けて自然素材の良さを発信していきたいと考えています。

 

——香港で活動する上で大切だと思われたことは?

 起業して間もないころは無我夢中でしたが、香港のローカルに根付くことを大切にすることにより、世界中から香港に集まる方々に自信を持って販売することが出来る会社に成長してきたような気がします。自分や周りの変化を受け入れ成長することが会社の個性を作ってきたと思います。

 

(この連載は月1回掲載します)

 


 【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。