香港ポスト ロゴ
Google:
  サイト内 google
  ホーム
  読者の広場
  クラシファイド
  配布先一覧
  バックナンバー
   
 
 
 
 
最新号の内容 -20120101 No:1349
バックナンバー

トップインタビュー・スペシャル

2012年を迎えて

 欧州債務危機や米国経済の低迷による影響で香港の景気にも暗雲が立ち込めているが、危機を商機へと変えるのが香港スピリットである。新年を迎えるに当たり、連載「トップインタビュー」のスペシャル版として日本や日本人とのかかわりの深い仕事をしている香港人ビジネスマンにご登場いただき、今後の抱負などを聞いた。        
(インタビュー・楢橋里彩)


 

日本企業の対中投資ブームに起業

JL Advisers Limited
(ジェイエルアドバイザー有限会社)
総経理 羅顯邦(ジョー・ロー)さん

1964年香港生まれ、87年来日、92年一橋大学商学部卒。卒業後、野村証券東京本社に入社、アジアソブリンと企業の外債外株引受業務を行う。97年末にアジア株営業で最初のチームとして香港派遣、日系機関投資家営業のヘッドとして香港勤務。2001年に退社しJLAを設立、日本と中国の架け橋としての投資コンサルタントなどを経て、現在、金融・不動産投資アドバイス&サービスを日系、中国人投資家をはじめ世界の顧客に提供する。

——主な事業について教えてください。

 香港マーケットへの投資サポート、金融投資や不動産投資を中心にアドバイザーをしています。日本人の投資家の方々にはもちろん、機関投資家、中国本土からの投資家も最近では増えています。

——以前は野村証券で働いていたそうですね。

 バブル全盛期のころ日本の大学で金融の勉強をしていたので卒業後は日本の金融系に。東京で5年ほど引き受け業務をした後、派遣で香港に行きセカンダリー業務をしていました。香港に派遣されたときに中国経済が成長しているのを目の当たりにして、アジアが世界の中心になる、中国がもっと大きくなると確信しました。より深く中国経済にかかわりたいと思い、辞めて起業しました。

——起業された当初は大変だったとか。

 起業して翌年にSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行したので仕事ができず、1年間は空白の時期となって苦しかったですね。でも企業に振り回されず、大変でも自ら達成感を味わいたいという思いが強かったので、あきらめませんでした。たとえすぐに成果が見えなくても、正しいことだと思えば迷わずに全力で前進することが大切だと実感しています。

——事業の一番の強みは何でしょうか。

 過去20年のマーケットに対する豊富な知識、経験、ネットワークです。窓口を香港、広州、深圳、北京、上海、四川省に設置していますが、この業界でマーケットの大きな変動期を経験した人はそういないと自負しています。投資に関しては政府との交渉は大切ですがノウハウをもっていないと難しい。そういう意味でも、日系企業の皆さまからの厚い信頼を得ていると感謝しております。

——もともとは日系企業向けのコンサルタントですよね。

 起業当初は日本企業の対中国投資が盛んでした。野村証券にいたころは多くの投資家の方から指名を受け中国へ投資していました。おかげでたくさんの経験を培ったので少しでも日本に恩を返したいという思いから日系企業向けコンサルタントを始めました。今は中国の投資家の方のデマンドが増えていますが。 

——いつから流れが変わりましたか?

 ここ1、2年ですね。中国の政治的な要因も背景にありますが、主に資金のリスク分散、子供の教育、介護問題などいろいろなことを人々が考えるようになったわけです。経済的に豊かになったので意識の変化が流れを変えたんですね。

——中国経済は今後どう変化していくでしょうか。

 伸びていくのは間違いないですが、GDPの伸びは落ち着くと思います。9、10%の時期から多少落ちてきているとはいえ、まだまだチャイナマネーの影響力は大きいです。人民元や中国株も近い将来、国際化されていくのは間違いないです。自由化されると香港ドルは人民元とペッグする形に変わると思いますし、香港、マカオ、シンガポールといったアジア地域の活性化が期待されます。

——国際化とはどういうことですか。

 香港がより中国化されるということです。香港の経済が完全に中国人民銀行に握られますので、人民元が自由化されると香港も人民元を使うことになるでしょう。経済、金融、貿易も中国寄りになるでしょうし、今後どのようにバランスをとっていくかですね。

——震災後にアジアに進出しようとしている日系企業の動向をどう見ていますか?

 最近、日本から進出しようとしている企業のサポートをすることが増えました。震災後、海外進出したい、マーケットを拡大したいという動きはあると思います。うちにくるお客さんも何とか生き残るために動きたいと必死です。皆さんのためにもできるだけ万全のサポートをさせていただいています。

——香港在住の人たちで中国株に投資している人も多いと思うのですが、何かアドバイスは?

 マーケット情報やメディア、ネットなどにあふれた情報を、そのまま得ようと思うのでなく実際に現地に行ってみてください。株関連でしたら上場企業の人たちと会ったりする機会があればベストです。個人投資家ですと難しい場合もありますが、全く不可能というわけではありません。中国経済の動きなど自ら現地に行って空気を吸って初めて中国という国が分かるものだと思っています。

——今後の事業展開は?

 今後は不動産や個人向けのサービスと商品をより幅広く提供していきたいです。会社はまだ小さいのですがネットワークは大きくなっていますから自信はあります。今後も中国本土、香港、アジアを拠点に多くの投資家の方々にサービスを提供していきたいと思います。


香港初の沖縄料理店をオープン

EN Group Limited代表取締役 
呉鴻忻(ピーター・ン)さん

1968年香港生まれ。2歳から高校時代まで沖縄で過ごす。卒業後、米フロリダ州のフロリダ大学でビジネスマネージメントを学ぶ。その後、沖縄、東京での仕事(オーチスエレベーター国際部で貿易の業務)を経て93年に帰港。アパレル企業に就職した後、独立。2000年に兄のレイモンドさん、妻の又吉真由美さんとEN Groupを設立。

——沖縄料理の香港初上陸は御社なんですよね。

 はい。兄と妻(社長の又吉真由美さん)との3人で2000年に立ち上げました。私も兄も沖縄で育ちましたし、妻も沖縄出身だったので、飲食店を出すなら沖縄料理がいいと。 ——最初はシンガポールに出店ですね。  01年に香港に2号店を出しました。その後、上海、ジャカルタ、マカオ、沖縄と今は23店舗です。沖縄料理以外にも焼き肉、しゃぶしゃぶ料理店も開きました。

——香港でのビジネスのメリットは何でしょうか。

 香港は会社を立ち上げるのが簡単なので進出しやすい。輸入規制がほとんどない上、日本に比べて税金も安いですから。また日本料理が定着しているので職人もいる。そこから生き残る方が大変ですが。

——進出当初から日本料理店は多かったと思いますが。

 誰もやっていないことをやろうという思いが強かったです。10年前の香港の飲食業界はレストランや居酒屋など、ほとんどがお客さんの回転が速い店でした。日式でも空間が狭くてゆっくりできないところが多かったんです。なので日本にあるようなゆったりした空間のお店を造りたいと思いました。

——お客さんの反応はいかがでしたか。

 一般の和食と何が違うのかを伝えるのが最初は難しかったです。10年前は沖縄の認知度はまだ低かったので。うちは魚介類も出しているのですが、日本料理を食べるつもりで来たお客さんは、一般の和食と違うことに戸惑ったり、泡盛りのにおいになじめなかったり…、その都度説明していました。

——魚介類を日本から各店舗に輸送するのですか?

 そうです。以前は台湾や関西経由で送っていました。自分たちで仕入れるしか方法がなかったので貿易会社をつくりましたが、今は楽になりました。

——どのように?

 沖縄に貨物空港ハブができて毎日貨物フライトがあり、日本からのものを1日で集約して深夜に飛ばしています。沖縄だけでなく多方面から食材を容易に輸送することが可能になりました。

——どのくらいで届きますか?

 24時間以内です。もちろん鮮度も保ったままです。朝取れたものが夜、沖縄に届き翌朝には香港です。

——そうなるとお店での値段も上がるのでは。

 そうでもないんです。港で取れたものを直接買っているので卸市場を経由していません。通常は卸市場から日本の輸出業者、香港の輸入業者などが入りますがそこをカットしています。

——なるほど。さまざまな工夫をされているのですね。

 これまでもSARS(重症急性呼吸器症候群)、リーマンショック、そして東日本大震災を乗り越えました。SARSの時は香港特区政府の早い対応のおかげでサポートローンで何とか。困難を乗り越えられたことは、その後、店舗拡大していく上で大きな励みと自信につながりました。

——震災後、特に日系飲食業は大きな影響を受けたと思いますが。

 うちは日本の鮮魚も扱っているのでマーケティングは相当悩みました。最初は地図の宣伝ポスターを作り沖縄の位置を強調して安全性を訴えましたが、すぐやめました。日本全体で売っていく心意気がないとだめだと。特区政府は厳しいので放射能なども細かいチェックが入ります。安全性を証明したものだけを提供しています。

——今後の事業展開について教えてください。

 5年以内に100店舗実現計画を立ててます。

——すごいですね!

 常に高い目標を掲げた方がやる気につながります。近い将来では中国本土、インドネシア、マレーシア、タイ、ベトナムです。

——成功するために大切なことは?

 お客さんの満足感、視点を常に考える。どんなに月日がたっても変わらない安心した味と空間を提供するための努力は惜しみません。良いサービスにリミットはありませんから。


日本のアニメソングを普及

ED Production Ltd.
代表取締役李紹衡(エドワード・リー)さん

1972年香港生まれ。香港中文大学工商管理学科を卒業後、2004年にAnimation International Ltd.に入社、日本の漫画のライセンス業務に携わる。08年に独立し、ED Production Ltd.を設立。代表取締役兼イベントプロモーターとして香港での日本アニメソングの普及のため、アニメソング歌手を招待するなどあらゆるイベント企画、運営を行う。好きな漫画は『ドラゴンボール』『キャプテン翼』。

——事業内容を教えてください。

 2008年に設立したイベントPR会社です。主に日本のアニメソングの歌手を香港に招いてコンサートやイベントを開催しています。

——日本のアニメは香港でもかなり人気がありますね。

 私は日本のアニメや特撮映画などを見て育ちました。今特に人気があるのは日本のアニメソングです。水木一郎さんや影山ヒロノブさんは根強い人気です。

——小さいころから香港で日本のアニメを?

 私は1970年代生まれですが、当時から番組を毎日見ていました。人気のある番組はビデオ化されて簡単に手に入りました。アニメを字幕、吹き替えなしで見たいと思い日本語の勉強をし始める香港人は多いですよ。

——日本のアニメはなぜこんなに人気があるんでしょうね。 

香港には独自生産のアニメがないので、外に楽しみやあこがれを見いだしたんです。日本のアニメの美しさは本当に素晴らしい。特にひと昔前のアニメはストーリーに深みのあるものが多く大人になっても感動する作品がたくさんあります。アニメを通して日常生活、文化、習慣がはっきり分かるものが多いのも日本アニメの特徴です。

——今、いわゆる「萌え系」といわれるジャンルが人気ですが。

 香港でも同じく大人気です。かつてはスポ根もの、ロボット、SFといった「燃え系」 が人気がありましたが徐々に低迷して今に至っています。萌え系アニメソングは今のアニメ市場の大きな部分を占め、昨年はアニメソング歌手のドキュメンタリー映画が日本で上映され、香港でも大好評だったんですよ。

——アニメも時代と共に変化しているわけですね。

 社会・経済を反映していると思います。80年代の日本はバブル全盛期だったので製作側も余裕があり、ジャンルも豊富でした。しかしバブル崩壊後はヒットするジャンルに偏って作っています。子供人口が減少していることも影響していると思いますが、個人的にはもっと「燃え系」アニメを復活させてほしいと思っています。

——中国本土ではアニメ生産高が日本を超えて世界一になったそうですね。

 11年の「中国アニメ産業発展報告書」によると、中国国産アニメは年間400本近いんです。とは言っても中国では日本のエンターテインメントの評価が高く、流通規制が厳しいにもかかわらず90年代生まれの若者たちの必読書に日本の漫画が挙げられているほどです。 今後の規制緩和でどう変わっていくのか、アニメ産業に携わる者として楽しみでもあります。

——今後のビジネス展開について教えてください。

 今年はこれまで以上に多くのイベントとコンサートを開き、香港でももっと日本のアニメを盛り上げていきたい。そしてあらゆる世代の人々が楽しめるよう日本と香港の文化交流を深めていきたいですね。