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最新号の内容 -20110826 No:1340
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香港に40年地域営業統括に

 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。
               (インタビュー・楢橋里彩)

CITIZEN Watches (HK)
董事長 中井淳さん
【プロフィール】
 1957年北海道帯広市生まれ。明治大学機械工学部(現理工学部)卒業後、80年に株式会社シチズン時計に入社。その後、香港、シンガポールに駐在。シチズン商事(当時)海外営業部本部、情報システム部部長を経て、2009年よりCITIZEN Watches (HK)、CITIZEN Watch (China) 董事長で現在に至る。
 
——すでに設立40年だそうですね。
 現地パートナーを通じて今から49年前に時計販売を開始して昨年設立40周年を迎えました。香港を拠点としてアジア、中東での販売を手掛け台湾、上海、シンガポール、マレーシア、ドバイ、インドに子会社と支店を持っています。
 
——アジア事業を展開する上で、香港の位置づけとは何でしょうか。
 アジア・中国エリア販売統括会社ですね。現在の事務所は生産が中国本土に移り空いた工場社屋に他のグループ会社と共に入居しています。地理的なエリアハブとして中国経済力をバックに持ちながらも、自由経済のハブとして販売、物流の中心となっている場所が香港なんです。世界の時計物流倉庫も香港にあります。
 
——華南エリアはどうでしょうか。
 時計の小売りは上海・北京の管轄下で行っていますが、やはりまだまだ贅沢品ですからね。香港からの並行輸入も多く流通にも難しさがあります。香港と中国本土の税率の違いから小売価格に違いが出てきますし、香港が近いゆえにマーケティングは困難ですね。
 
——中国本土はどうですか。
 ここ10年で販売単価が10倍に上がっています。価格上昇は現地のインフレも影響しますので平均価格の上昇はまだ続いています。それに伴って販売体制も大きく変わってきました。高付加価値商品を拡大し、単価を押し上げ、上がった利益を宣伝、ブランディング投資に回す。このサイクルをつくるまでは大変でした。
 
——どういうことですか。
 20年前の中国、アジアでは店頭に時計をいくつ押し込めるかが勝負でした。並んだ時計の上にさらに時計ですよ。ブランディングを考えるのも厳しい状況でした。でも今はビジュアルマーケットという切り口から考えています。
 
——今後の事業展開について教えてください。
 やはり今後は東南アジア、中国、インドの事業拡大ですね。エリアのマーケティングの統合を強化し効率的な経営環境を実現してきたいです。そのためにも今はシチズンブランドの位置づけをもっと明確化していき、買っていただくお客さんにブランドとしての価値を認めていただきたい。今はそこに集中しています。
 
——御社の「Eco-Drive」シリーズは人気商品の1つですが、どのようなものなんですか。
 弊社独自の業界最高レベルの省エネ設計ソーラーパワー腕時計です。光を電気エネルギーに変換して動く時計なんです。光が当たることで電気を発生させるソーラーセルを内蔵し、セルが光を受けて発電、時計を動かします。
 
——環境問題を踏まえた画期的な技術なんですね。
 一般的な時計は電池が切れたら替えますよね。でもすべての時計をそのように使っていると莫大な数の電池が廃棄処分されます。Eco-Driveは電池交換の必要がない上に使用される二次電池に有害な金属が含まれません。
 
——トップとして日ごろから心がけていることは何でしょうか。
 「因果応報」を座右の銘にしています。本来の釈迦の教えとは逆説なんですが、起きた事には理由がある、という意味で結果より原因を重視、追求することを心がけています。
 
——ビジネスで成功するために必要なこととは何でしょうか。
 すべてに対して真摯に対応すること。ビジネスも相手がいて成り立つもので自分一人もうけの発想では成り立ちません。相手がもうかり自分ももうかる。皆でもうける中でいかに多く利益を取れるかということを常に考えることですね。
 
——香港駐在は2度目だそうですね。
 最初は入社してすぐ、82年に来ました。このころの香港は今では考えられないような光景がまだまだありました。タクシーの初乗りが4・50ドルだったんですが、車の下に穴があいてて地面が見えているようなものも走っていたんですよ。タクシーをつかまえても車内を確認してから乗っていました。(笑)
(この連載は月1回掲載します)

【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。