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最新号の内容 -20110701 No:1336
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 7月1日は1997年に香港の主権が英国から中国へ返還された記念日。香港特別行政区が成立してから14週年を迎える今、香港人が思うことは何か。香港人の意識はどのように変化してきているか。各界で活躍する方々や一般市民の声を聞いた。     
(インタビュー・楢橋里彩)


映画産業は量から質へ
香港映画も国産映画に映画監督 

サム・レオンさん

 1960年、マカオ生まれ。中学(日本の高校に相当)卒業後、ホテルに就職した後、84年に日本に留学。85年、今村昌平監督が開校した横浜放送映画学院(現日本映画学校)に入学。99年に香港で制作会社を設立、ナインティナイン岡村隆史主演のコメディー映画『無問題』をプロデュース。初メガホン映画は『大混乱・香港の夜』など27作品の監督を務める。日本映画のリメークも数多く手がける。黒澤明の大ファン。

 

 

  映画制作数は、黄金期の1990年代の年間250本から50本に激減しました。返還前はまだ中国本土の映画産業が発展途上でしたし、無駄に作りすぎていた時期でした。返還後、香港経済が厳しい状況に陥った時、映画産業も同時に弱まりましたが、これを機に質の高いものを作る意識に変わっていきました。

——それにしても中国本土の映画産業は著しく成長を遂げていますね。 

 そうですね。年間450本ほど作っていますが、多すぎて上映ができないくらいです。映画館も足りないようですし。以前、香港で制作していた時代劇のセットも、今ではほぼ本土で作っていますから。この成長ぶりには驚きを隠せません。

——2003年に締結されたCEPA(香港と中国本土の経済・貿易緊密化協定)により香港映画も本土では国産映画として扱われていますが、どう思いますか。

 この協定のおかげで香港の映画制作者も本土で作る機会が増えています。国産映画になったことでより中国市場に進出でき、互いの得意とする分野や感覚を尊重し合った作品が生まれているので、まさに相乗効果ですね。何といっても低予算で組まれる香港に比べて10億、20億元といった破格予算の中国映画は香港の制作者にとっても魅力的です。

——ということはレオン監督もいずれは進出を? 

 中国市場は特に大事にしていますよ。個人的には中国映画でなかなか見られない、香港で得意とするアクションやコメディーなどを広げていきたいですね。ただ、この状況はまさに香港のかつての黄金期に似ています。最終的に生き残るためには量より質。巨大な中国市場の動きを敏感に受け止めながら挑戦していきたいですね。

——香港オリジナルのアニメキャラクター「マクダル」が中国本土でも映画公開されるなど話題になっていますね。

 なぜこんなにヒットしたのかというと、コピー作品が多い中でオリジナルが新鮮だったからです。今後、香港のアニメはさらに本土に進出していくと思いますが、それ以上に中国のアニメの概念が変わっていくと思います。経済成長を遂げ、精神的にゆとりが出てきた今、コピー作品を作ることより創造力を大切にしようという動きが広まっています。これこそ本土の大きな変化だと思います。

——ところで今後の監督の作品は? 

北海道を舞台にしたものと、香港と福島を舞台にしたもの2本を制作中です。

——どちらも日本が舞台として登場しますね。 

 特に香港と福島を舞台にするものは、3月に起こった東日本大震災を機にシナリオ制作に取り掛かっています。あの日を境に私の人生観は大きく変わりました。映画の素晴らしさを教えてくれた日本に今こそ恩返しをしたいと思っています。1人でも多くの人の心が温かくなるような作品になるのを目指して作っています。


政府に不満も訴えられず
香港の歴史も教えられなかった

歴史研究者 高添強さん

 1963年香港生まれ。香港理工学院語文系(現在の理工大学)を卒業後、香港観光協会(現・香港政府観光局)に6年勤務。91年に歴史研究者に転身、数々の香港の歴史書を執筆。専門分野は19世紀の香港。最近では多くの人に歴史を身近に感じてほしいとの趣旨で、写真集に分かりやすい解説をつけた著書『First Photograph of Hong Kong 1858-1875』が好評を博す。現在は歴史研究の傍ら博物館や学校などでも講演会を開いている。

——返還されて14年たちましたが、返還前と後でどんな変化がありましたか。 

 人々の意識です。返還前は政府も市民も常に経済発展のことばかりを考えてきました。発展すれば何でも解決できると誰もが信じていたのです。でも返還後にさらに深刻な課題は増えていきました。例えば大気汚染から環境を守る意識、水質問題、港湾の発展など…。社会を豊かにするために犠牲にしてきたものは大きいですが、それに気付きはじめた人々も増えています。

——さまざまなことが浮き彫りになってきているのですね。 

それだけでなく所得格差の拡大も深刻です。CEPAを結んで一時低迷していた香港経済も上向きになったものの、利益を享受しているのは高所得層に限られ、中所得層の割合が低下し高所得層と低所得層の割合が増加しているのも事実です。格差が大きくなるとそれだけ社会の不安定にもつながりますから課題は山積みです。

——そういった不満を訴えるデモ活動も多いように見えますが。

 民主化要求や物価高騰の不満で最近も度々起こっていますね。でもこういったことも返還前は困難でした。70年代まで公用語が英語だったので、市民の大部分は話すことができず、政府と人々の間には温度差がありました。不満があっても今のように訴えることができなかったんです。やるなら英語でということですね。当時は差別感を感じる人も少なくなかったと思います。

——今の若者が知らない実態ですね。 

 少なくとも80年代までは学校で香港の歴史はほとんど教えられませんでした。私が学んだのも卒業して独学です。今は少しずつ開放されていますが、まだまだですね。

—— 一時日本が統治していたことも? 

親日的な人が多い香港ですが、歴史を知らないことが反映されていると思います。世代が上がるにつれて反日的な人も少なくありません。私は日本の友人が多いですし好きな国ですが、小さいころはよく祖父母から当時の話を聞いていました。戦後、中国本土から香港に移った人も多いので、話を聞く機会は今の若者は少ないかもしれないですね。

——そうすると学校では何を勉強されていたのですか。 

日本史は詳しいですよ。明治維新など近代史はしっかり学びましたから。アヘン戦争がなぜ起こったのかという事実を知ったのも随分後でしたし、いまだに40、50代の人たちは香港の歴史を知らない人も多いです。香港の歴史教育においてもまだ問題があります。まず良い教科書がないこと、そしてきちんと教えられる先生が少ないこと。

——返還されたからこそ見えてくる新たな問題ですね。 

教育現場で補えきれないことも多々ありますから、自ら歴史博物館や学校に行って歴史の講演をしています。過去の事実を知り、今を見て、未来を考えてほしいという思いで活動しています。

——今後、香港はどのように変わっていくと思いますか。

 06年より優秀人材導入計画も始まり本土からの移民者も年々増えています。香港が国際市場で厳しい競争に負けないためにも本土との共栄共存をこれまで以上に大切にしなければいけません。徐々にアイデンティティーの意識が変わってきていますが、この先10年後、20年後どう変化しているか楽しみです。

特集(2/2)へ続く