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最新号の内容 -20170210 No:1472
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「香港独立」の訴えが肥大化 

第108回 梁振英路線(梁振英路線)

 香港メディアの香港政治関連の報道では、香港ならではの専門用語や、広東語を使った言い回し、社会現象を反映した流行語など、さまざまなキーワードが登場します。この連載では、毎回一つのキーワードを採り上げ、これを手掛かりに、香港政治の今を読み解きます。(立教大学法学部政治学科准教授 倉田徹)
 

梁長官の続投断念

異例の展開だった選挙委員会選挙

梁振英路線を引き継ぐという林鄭月娥氏(写真・楢橋里彩)

 

突然の不出馬表明

 今回のキーワードは「梁振英路線」です。

 昨年12月9日午後、梁振英・行政長官の記者会見は、多くの人々を大いに驚かせました。誰もが次の行政長官選挙で再選を目指すと考えていた梁長官が、選挙には出馬しないと表明したのです。

 梁長官が不出馬を決定した理由は謎に包まれています。表向きの理由は家庭の事情で、実際に梁長官の娘は入院もしていました。不出馬の表明後、梁長官は自ら病院に見舞ってもいます。しかし、娘は10月から入院しており、突然に体調を崩したわけではありません。梁長官を支持する立場の人たちや、中連弁の関係者などは、記者会見の直前まで、しきりに梁長官が再選を目指して出馬するとの情報を流していたといわれますので、梁長官とごく親しい立場の人たちの間にも、不出馬の情報は伝えられていなかったと考えられます。こうなると、一部で報じられている、習近平・国家主席から、出馬を断念するよう直接指示されたとの情報が、真実味を帯びてきます。

 興味深いのは、不出馬表明のタイミングです。会見の翌々日である1211日、行政長官選挙委員会の選挙が予定されていました。行政長官選挙において投票し、次の長官を選出する1200人の委員を選ぶこの選挙は、従来それほど注目されることはありませんでした。選挙委員会は、立法会の職能別選挙と同様に、中央政府と関係の深い財界人が偏重される構成になっており、中央政府が支持する候補者を確実に当選させるだけの、形式的な機関であると見られてきたからです。

 しかし、今回の選挙委員会選挙は、異例の展開となりました。選挙委員会を「ニセ民主」として批判してきた民主派が、本格的に参戦したからです。選挙委員会は、様々な業界枠の合計1200人から構成されていますが、民主派はこのうち、教育界・法律界など、専門職の業界のエリートからなる枠で強い支持を得ています。これらの枠を中心に、合計で300人以上の委員を当選させようとする民主派の運動「民主300+」が展開されました。

 民主派は9月の立法会議員選挙において、職能別選挙の専門職枠で大勝利を収めていました。ほぼ職能別選挙と同様の選挙制度で選ばれる選挙委員会でも、かなりの善戦が期待できました。民主派のスローガンは「ABC(Anyone But CY)」でした。「梁振英(C. Y. Leung)長官以外誰でも」という意味で、とにかく行政長官を交替させようとの主張です。

 事前の選挙情勢で、300人以上を民主派が確保できる可能性が高いと見られていた通り、実際の選挙では、前回5年前の選挙で27・6%だった投票率が46・5%まで飛躍的に伸び、民主派は325人以上を当選させました。もちろん委員の過半数にはほど遠い数字ですが、前回の行政長官選挙で梁長官の対立候補であった唐英年氏に投票した者が285人いたことを考えますと、民主派と合わせれば、「反梁振英派」は600人の半数を超えます。つまり、梁振英氏の再選に赤信号がともることとなります。

 このような事態を前に、中央政府は梁振英氏をあきらめざるを得なかったというのが、梁振英再選断念の真相でしょう。これは梁長官の「不戦敗」と言える事態であったと思います。


梁振英路線とは何だったのか

 いずれにせよ、「梁振英時代」は5年で終わることになりました。彼の政治路線「梁振英路線」とはどういうものであったと総括できるでしょうか。

 梁長官は、唐英年氏との激しい選挙戦を勝ち抜きました。選挙は終盤でスキャンダル合戦に陥りましたが、政治路線においても両者には違いがあり、梁長官は弱者の保護や住宅問題の解決などを重視し、唐英年氏の財界寄りの立場と一線を画しました。実際、就任後にもこれらを重点政策としましたが、香港中文大学の政治学者・蔡子強氏は、むしろ財界偏重を非難された曽蔭権・前行政長官のほうが、最低賃金の導入のような複雑な利益調整を必要とする政策を実現しており、梁長官は例えば標準労働時間の導入などにおいて、口先だけに留まったと批判しています。

 より鮮明に人々の記憶に残った「梁振英路線」は、特に民主化問題などをめぐる強硬姿勢でしょう。就任直後に「反国民教育運動」に見舞われ、民主化問題は「雨傘運動」に至りました。その後は香港独立問題が政治的焦点となりましたが、梁長官はデモ隊への催涙弾の使用、「独立派」の議員資格取り消しの司法審査請求など、異例の手段を用いてこれらを強く取り締まりました。しかし、多くの場合、「梁振英路線」は対立を解決や緩和に導くよりも、激化させる方向に働きました。もともと極めて微力であった香港独立の訴えが、政治論争の中心にまで肥大化したのは「梁振英路線」のせいであり、梁長官を「香港独立の父」と揶揄する論調すら存在します。梁長官が再出馬できなかったことは、先述の通り、民主派の強い反発という要因が大きく、この路線の結果的な「敗北」とも評価できると思います。


「梁振英なき梁振英路線」?

 次の長官が誰になるのか、本稿執筆時点の情勢は混乱しており、明確になっていません。問題は、新長官がこの「梁振英路線」を、どの程度引き継ぐかという点です。

 「梁振英路線」の背景には、明らかに中央政府の意向が存在します。北京の指示する通りに梁長官が動いた結果が「梁振英路線」なのか、それとも北京の歓心を買うために梁長官が自ら動いた結果が「梁振英路線」なのか、その真相は明確ではありません。しかし、いずれにせよ、「梁振英路線」は、民主化や独立という問題に対する北京の強硬姿勢が反映されたものであったとは言えるでしょう。そうであるならば、長官が交代しても、北京が変わらない限り、「梁振英路線」が続く可能性は大いにあり得ます。

 「没有梁振英的梁振英路線(梁振英なき梁振英路線)」という言葉が、最近よく聞かれます。次の長官が誰であれ、「梁振英路線」を引き継ぐのではないかという疑念です。新長官の人選と同時に、その新長官の「路線」にも注目が集まる一年になりそうです。

(このシリーズは月1回掲載します)

筆者・倉田徹

立教大学法学部政治学科准教授(PhD)。東京大学大学院で博士号取得、03年5月〜06年3月に外務省専門調査員として香港勤務。著書『中国返還後の香港「小さな冷戦」と一国二制度の展開』(名古屋大学出版会)が第32回サントリー学芸賞受賞