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最新号の内容 -20160610 No:1456
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 経済のグローバル化が進む中、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き何に注目して事業を展開しているのか。さまざまな分野で活躍する企業・機関のトップに登場していただき、お話を伺います。

(インタビュー・楢橋里彩)


ハンセン病の回復支援NGO


インタビュー


NGO「家-JIA」

代表 原田燎太郎さん
 

【プロフィール】

 2003年早稲田大学政治経済学部卒業。同年4月中国ハンセン病回復村リンホウ村(広東省潮州市)に移住、ハンセン病回復村でのワークキャンプをコーディネートするNGO「家-JIA」を設立。サポートとボランティア活動の斡旋をする。09年優れたボランティア活動を行う団体・個人に広州ボランティア協会が授与する「十大傑出志願者」に外国籍として初めて選出。12年責任中国2012公益盛典公益行動賞受賞、15年Citizen of the Year賞受賞。


 

——NGO「家—JIA」は「ハンセン病回復村」と言われる場所でワークキャンプを行っているそうですが、具体的にはどのような活動を?


 現在、ハンセン病回復村は政府の発表によると中国本土に600カ所あると言われ、2万人が生活しています。私は広東省にあるリンホウ村という回復村を拠点に活動しています。発病する人はほとんどいませんが村人(回復者)たちの多くは山奥に住んでいます。スタッフは私ともう一人の日本人以外は5人の中国人。これまで1万7000人近いボランティアスタッフの受け入れ、村の人々のケア、生活環境の整備などをしてきました。ボランティアスタッフは20〜25人が村に1〜2週間住み込み、生活環境改善の土木作業を行います。日本から来られる学生もいます。こうした取り組みを通してハンセン病差別の減少や若者たちが活動を通して成長することも目標の一つです。運営資金は年間150万〜180万元。3分の1は財団からの援助、3分の1はボランティアの自己負担、残り3分の1は企業や団体からの寄付です。


——なぜハンセン病の回復支援をするようになったのですか?


 学生時代にあるボランティア団体に所属し、その先輩たちが中国でハンセン病の人たちのケアサポートをしているのを知りました。大学3年の就職活動を迎えた時、かつていじめられた経験から差別をなくすため記者になりたいと思いました。まずは自分の中に差別する心があるのかどうかを確認したいと思っていたところ、ハンセン病回復村での活動を思い出したのです。就職活動はやめ、卒業後すぐに広東省に行き活動していこうと決意したのです。とは言うものつまずきが多く大変でした。


——どのように?


 当時は中国語が全く話せなかったので、筆談で彼らとコミュニケーションをとっていました。容姿が変形して手足が不自由な人が多いので、最初は恐怖さえ感じました。ですが徐々に慣れていき、そんなことは実は重要ではないということに気づいたのです。彼らはとても明るいんですよ。容姿の変形を笑いのネタにしている人がいるほどでした。励まされているのは実は自分の方だったと後から気づいたんです。


——隔離が終わったのは1980年代ですが、いまだ厳しいですか?


 元患者が社会、家族のもとに戻れるかどうかなんですね。まだ差別を受ける人も少なくありません。遺伝病と信じられているので、家族に迷惑をかけてしまうと思い込む人も多いのです。死んだことになっている人もいますし、身寄りのない人も多いです。
 

——14年にわたり広東省を拠点に活動されていますが、忘れがたい思い出などありますか。


 活動の初期、まだ中国の学生が活動に参加する仕組みのないころのことでした。村の地元大学に学生団体を設立しようとしていたのですが難航しました。ある日、大学での話し合いがうまくいかないまま夜遅く村に帰ってきました。就職せずに村に住み始めて将来が不安だったこともあり、暗い気分で村に戻ると、ある村人が食事を取らずに僕の帰りを待ってくれていました。冷め切ったおかずをまきの火で温め直し、白酒(焼酎)を用意してくれました。食べ始めると彼がたずねました。「オイシエヤボイ?」。ちゃんと温まっているかという意味の潮州語です。村人を支えるつもりが逆に支えられていました。心の奥底に響いた彼らからの言葉に「インフラ整備もありがたいが、あなたたちサポーター一人一人がここに来て、居てくれることが何よりもうれしい」と言われたことがあります。
 

——今後の目標は?
 

 マンスリーサポーター(http://jiaworkcamp.org/jp/month.aspx)の増加による資金運営の安定化、回復者の生き様の記録撮影、ハンセン病回復村周辺地域に活動を広げ、回復者が周辺地域によりよく溶け込むこと。それから活動の逆輸入。かつて韓国人と共に日本人によって中国にもたらされたこの活動を、今度は中国のボランティアによって日本のハンセン病療養所にもたらし、日本の学生ボランティアを巻き込むことも考えています。

(この連載は月1回掲載します)

【楢橋里彩】フリーアナウンサー。NHK宇都宮放送局キャスター・ディレクターを経てフリーに。ラジオDJとして活動後07年に中国に渡りアナウンサーとして大連電視台に勤務。現在はイベントなどのMC、企業トレーナー、執筆活動と幅広く活躍中。ブログhttp://nararisa.blog.jp/