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最新号の内容 -20120210 No:1351
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香港行政長官はどうやって選ぶの?
〜選挙の仕組み           

政治、経済から社会、文化に至るまで、知っているようで意外にあやふやな香港の「仕組み」をイチから勉強する好評連載。第10回は、3月に迫った香港行政長官選挙の仕組みについて解説する。       
(ジャーナリスト・渡辺賢一)


本命?
唐英年(ヘンリー・タン)氏

前香港特区政府政務長官
1952年生まれ。米ミシガン大学卒。返還前は立法評議会議員を務める。1997年に行政会議メンバーとなり、03年から特区政府財政長官、07年から政務長官を務める。父親の唐翔千氏は中国の江沢民前国家主席と親交が深い。

対抗?
梁振英氏

前行政会議召集人
1954年生まれ。香港理工学院(現香港理工大学)を卒業後、英国に留学。測量士として香港で自ら会社を起こす。1997年に行政会議メンバーとなり、99年から召集人を務める。香港返還に関する『中英共同声明』の起草にも携わった。

脱落?
何俊仁(アルバート・ホー)氏

香港民主党主席、立法会議員1951年生まれ。香港大学卒。返還前の1995年に立法評議会議員に当選。98年に立法会議員となる。2006年から香港民主党主席。
 

民意が反映されにくい間接選挙もどきの制度

 3月25日に実施される香港行政長官選挙が目前に迫ってきた。すでに3人の候補者が出そろい、事実上、特区政府ナンバー2の政務長官を務めた唐英年(ヘンリー・タン)氏と、前行政会議(行政長官の諮問機関、「内閣」に相当)召集人の梁振英氏の2人による一騎打ちに。選挙戦も佳境を迎えつつある。
 選挙報道をもっとわかりやすく、面白く理解できるようにするために、行政長官の役割とその選挙の仕組みについて解説しよう。
 
 香港特別行政区(特区政府)の首長である行政長官の役割やその選出方法は、中国政府が制定した香港の「ミニ憲法」である香港基本法に明記されている。
 
 それによると、行政長官に与えられているおもな権限は、特区政府における①政府の指導②法令の公布と執行③政策決定と執行④財政案の策定⑤高官や裁判官の任免——など。
 
 行政長官の任期は5年で、1回だけ再選が可能。現職の曽蔭権(ドナルド・ツァン)行政長官はすでに2期目であり、今年6月30日の任期満了とともに退くことが決まっている。その後任を選出するのが今回の選挙なのである。
 
 ちなみに、行政長官に立候補できるのは、香港特区の永久居民(永住権取得者)で中国の公民、かつ外国に居留権がない者。年齢は満40歳以上で、香港に20年以上居住していることが条件となっている。
 
 日本では、都道府県など地方自治体の首長は直接選挙(普通選挙)で選ばれるが、香港の行政長官は1200人の委員で構成される選挙委員会が選出する。まず選挙委員を選び、委員らによる選挙で行政長官を決めるという二段構えだ。
 
 これを「間接選挙」と表現する日本のメディアもあるが、米大統領選などで採用されている間接選挙とは制度がまったく異なる。
 
 そもそも選挙委員を選ぶのは一般市民ではない。産業界の代表や立法会議員、区議会議員、全国人民代表大会(全人代、中国の国会に相当)香港代表、中国人民政治協商会議(政協)香港地区委員などの限られた人々が選ぶのである。
 
 今回の行政長官選挙に先駆けて昨年12月11日に行われた選挙委員会選挙における投票数はわずか約6万5500票。香港の総人口が約700万人であることを考えれば、選挙委員の選出において民意が十分に反映されているとは言い難い。
 
 間接選挙もどきの制度が導入された背景には、中国に批判的な民主派の選挙委員を排除する中国政府の意図があるとみられる。
 
 普通選挙なら民意がそのまま投票結果に反映されてしまうが、限られた有権者による「コップの中の選挙」であれば、中国の思うままに、いかようにでも操作できるからだ。
 
 もちろん中国がその意図を認めるはずはないが、12月に実施された選挙委員会選挙では定員1200人に対して民主派の委員は約200人しか選出されなかったのだから、疑惑は裏付けられているようにも思える。
 
 また、中国の政治に直接かかわる全人代代表や政協委員はもちろん、財界人でもビジネス上のメリットから中国との関係を重視する人が多いのが香港の実情である。結果的に、民主派よりも親中派(中国寄りの人々)の委員が多数選出される構造になっているのだ。
 
行政長官選挙はそもそも出来レース
 
 そうした具合だから、香港市民は「行政長官選挙なんて、そもそも出来レース」と割り切っている。
 
 香港メディアも、行政長官選挙が近づくにつれて、「中国政府は、いったいどの候補者を選ぼうとしているのか?」と報じる。
 
 行政長官は選挙で選ばれるものではなく、あくまで中国が決める。選挙にはそれを追認する役割しかない、というのが市民やメディアの一般認識なのである。
 
 今回の行政長官選挙で火花を散らしている唐英年氏と梁振英氏は、ともに親中派の支持が厚い候補者だが、そもそもこの2人が名乗りを上げたのも、「中国政府が次期長官にふさわしい人物とみなしている」との憶測が広がったからだ。
 
 ことの経緯は、全人代の前香港代表である呉康民氏がマスコミを通じて「次期行政長官選挙の候補者として注目されるのは唐氏と梁氏だ」と語ったことに始まる。さらに呉氏は昨年5月、前立法会議長で全人代常務委員の范徐麗泰(リタ・ファン)氏を次期行政長官、唐氏をナンバー2の政務長官、梁氏をナンバー3の財政長官にすれば香港の行政は盤石だとする「鉄三角論」を披露した。この呉氏の発言は中国政府の意思を代弁するものではないかとの見方が広がり、3氏が行政長官の有力候補として注目を集めるようになった。
 
 その後、范徐氏は立候補のために必要な選挙委員150人からの推薦が得られないとみて出馬を断念。
 
 最終的に唐氏、梁氏のほか、民主派の代表として民主党の何俊仁(アルバート・ホー)氏の3人が立候補した。選挙制度上、何氏の当選はほとんど不可能であり、実質的に唐氏と梁氏の一騎打ちとなっている。
      
民意では梁氏が優勢財界は唐氏を支持
 
 民意調査では、梁氏のほうが唐氏よりも人気は高い。香港大学が昨年12月に行った世論調査によると、次期長官として梁氏を支持すると答えた人は41・8%で、唐氏の29・7%を上回っている。唐氏はマスコミに対する暴言や失言が多く、出馬表明直後に過去の不倫疑惑が発覚したことなどが市民らの不興を買ったようだ。
 
 しかし、特区政府で財政長官、政務長官などを歴任してきた唐氏と比べると、実業家出身の梁氏は行政経験が浅く、中国政府はその点を不安視しているのではないかとの見方もある。
 唐氏については、父親が中国の江沢民・前国家主席と深い関係にあることが有利であるとみられている。
 
 香港の政財界においても、元行政会議召集人の鍾士元氏、前香港金融管理局総裁の任志剛(ジョセフ・ヤム)氏、香港上海銀行CEO(最高経営責任者)の王冬勝氏らが唐氏を支持している。
 
 中国政府は、香港については民意より財界の意向を重視する傾向があり、その点では財界の重鎮らの後ろ盾を得ている唐氏のほうが有利だ。
 
 とはいえ、中国としても香港の民意をまったく無視するわけにはいかない。
 
 2017年に行われる次の行政長官選挙は、初の普通選挙として実施される可能性が高いからだ。次の選挙で香港市民から手痛いしっぺ返しを食らうのを避けるため、中国はあえて市民人気の高い梁氏を「当選させる」可能性もある。
(このシリーズは月1回掲載します)

渡辺賢一
ジャーナリスト。『香港ポスト』元編集長。主な著書に『大事なお金は香港で活かせ』(同友館)、『人民元の教科書』(新紀元社)、『和僑―15人の成功者が語る実践アジア起業術』(アスペクト)、『よくわかるFX 超入門』(技術評論社)『中国新たなる火種』(アスキー新書)などがある。